まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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草原の嵐

 B君が借りてきたセスナ172は、チャーター用にまわされることになった。
 5人の株主の一人が68年型のパイパーチェロキー、CF―WUOを持ってきた。
 4人の生徒が買った例のチェロキーはCF―WUP。
 生徒の訓練用にはこの2機を使用することになったが、お互いにペンキの色から登録番号からあまりにもよく似ているので調べてみると、10年前にカルガリー国際空港で、ある飛行学校がこの2機を訓練用に使っていたことがわかった。
 
▼CF-WUPのコックピット
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いわば兄弟がまた出会ったようなめぐり合わせなのだが、生徒も整備員もよく間違えるのは、困ったものだった。
 無線ラジオの通信を聞いていると、2機の「CF―WUO」がサーキットにはいっていることになっていて、私はよく地上ラジオのマイクロフォンをつかんで、
「あなたたちのどちらかはCF―WUPですよ!」
と呼びかけなければならなかった。
 
▼CF-WUOのコックピット
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 うれしかったのは、新しい株主たちはさっそく、工事半ばでストップしていたハンガーを完成させたのである。
 ハンガーの中はセメントで床が張られ、教室やロビー、キッチンに給水装置、プロパンガスから電気まで備わっていた。
 夕方には、私が作ったフライドライス(炒めご飯)をみんなしてここで食べることもできたし、遠方の生徒の中には宿泊していく者までいた。

 4月27日、CF―WUO機に乗って、学校規定のクロスカントリー・ナビゲーションに出ることになった。生徒は4人の生徒の一人、A氏だった。
 
「今日の気象情報はどうですか?」と聞くと、
「今日は申し分のない天気、と気象庁が保証しました」と言った。
「この世の中でひとつだけありえないことが、その気象庁の保証ですよ」
と私は笑いながら、空を見上げた。
何しろ気象庁というのは、
「局部的に雨が降るかも、そうでなければだいたい晴れ、一時的に曇りになるかも、そうでないところは晴れる」
などというような、どこかでいつかは当たるような言葉を使用するのである。
 この広い南アルバータの気象予報はとてもむずかしいのだ。

 離陸したのち、ぐんぐん高度を上げていくにしたがって、北西の空に寒冷前線(コールドフロント)が見えた。「あれを見ましたか?」と私。
「どれですか」
「ほらあの雲です。コールドフロントですよ、あれは」
「でも気象庁は何も言わなかったですよ」
 20分ほど飛んだが、気のせいか、フロントとの距離が近くなっているような気がした。私たちは南にむかっているのだから、距離は開くはずなのにおかしい。
 雲の山の近づき方が速いのである。そこでもう一度、

「あなたは1泊用のかばんを持ってきたの?」と注意を促したが、効き目がなかった。
 仕方がない、私は説得をあきらめてそのままレスブリッジに向かう。
 レスブリッジに着くころには、彼も私が言いたいことを理解したようだった。着陸後、二人して急いでウエザーオフィスに走る。
 係官はデータを見ながら
「こんな天気のいい日に、何を心配しているんです?」
といぶかしげに私たちを見た。
「でもちょっと外を見てくださいよ。北西のほうを」
「ああ、あれですか。あれは弱いフロントで、たいしたものではありません。温度の差が2、3度ですから」
と取り合ってくれなかった。
 
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 二人してまたテイクオフ。今度は東に向かう。15マイル東のテーバーの町の上空で、さっきの山のような雲が変色して白から茶色になり、地上から3000フィートの高さまで、まるで巨大なカーテンを吊り下げたような格好で行く手に立ちふさがっているのを見た。

 距離は10マイルもない。フロントの影響を受けて、風は50ノットの強い北風になった。
ついに私は操縦桿を奪い取って、機首を南に変えた。
「どうしますか」とA氏。
「地図を広げてちょうだい。国境を越える前にどこかに着陸しなければ。あの砂嵐の中には絶対はいってはだめ」
 
 南に向かうと、恐ろしくスピードが速くなった。時速160マイルは越えそうだった。
「このあたりに農業散布の会社があるはずよ」を私が言うと、
「ええと、あ、パープルスプリングというのが地図にあります」
 1、2分もしないうちにすぐ見つかった。何もない草原の真ん中に飛行機が4、5機も置いてあるので、目立つのだった。だが、滑走路がない。
 
 とっさに直感で、ここの人たちは農道の一部を滑走路として使っているなとわかった。
 砂のカーテンはもうすぐそこまで来ていた。サーキットにはいるひまがない。左に旋回しながら、そのままアプローチして着陸。

 敷地内にはいってみると、パーク用の場所に、地上から3カ所、縄が備えてあった。機を止めるや否や、私たちはすばやくこの3つの縄を両翼と尾翼に縛り付け、彼らのハンガーに駆け込んだ。ちょうど3、4人の散布パイロットも「それ来た!」と言いながら走ってきたところであった。
 縄を貸してもらったお礼をいいながら、自己紹介をする。そこはキニバー・スプレイサービスという会社で、奥さんが入れてくれたコーヒーを私たちもご馳走になった。

45分ほどの休憩をしたあと、風が30ノットに弱まったので、帰ることにする。
機体のところに来ると、白いはずの飛行機は砂をかぶって真ッ茶色になっていた。恐ろしい草原の嵐だったのだ。
このあと、このスプレイ会社のオーナーの次男も私の生徒になり、コマーシャル用の訓練をすることになった。


 
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by eridonna | 2009-11-22 23:03 | 第9章 大草原で暮らす