まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

新空港ビルの完成

 3月になった。アルバータ州政府が新空港ビルをプレゼントしてくれるという、すごいニュースがはいった。
 州の首相、ピーター・ローヒード氏の決断である。石油税の収入が伸びてヘリテッジ・ファンド(遺産基金)がかなり貯まったので、ブルックスを含めて5カ所の町に、滑走路かターミナルビルを建ててくれると言うのである。
 やがて完成したぴかぴかのニューターミナル。ブルックスの町の要望で、私はネコ2匹を連れて新築のターミナルに移った。ここで商売する人は、私以外ほかに見つからないというからである。
 ついに町役場が航空用のラジオを設置した。ほかの場所からブルックスに飛行してくるトラフィックに情報を与える必要もあるし、ターミナルの管理もしなければならない。
 新しい仕事も増えてきて、一日の長時間を飛行場で過ごすようになった。

 新空港ビルに落ち着いたCMフライトサービスは、誰にも気をつかう必要もないので、生徒たちもおおいに自由を楽しんでいるようだった。
 学校のサインボードを作ってくる者、黒板を持ってくる者、どこかのオークションで冷凍庫を買ってくる者、みんなして必要なものを持ち寄って、まるでひとつの家族のような雰囲気だった。

 ▼生徒たちの心づくしのサプライズパーティ・滑走路ケーキ
c0174226_23461097.jpg


 ひまのあるときには、私はスパゲティやフライドライスなどを大量に作り、一人分ずつ箱に小分けして冷凍しておく。
 生徒とフライトに出る前に箱を二つ出してオーブンに入れ、低温にセットして出かける。練習から帰ってくると、これがちょうどほかほかに出来上がっているのである。
 昼休みをやりくりして飛んでいる生徒たちは時間がないので、この手軽なランチをとても喜んだ。夕方は夕方で、独身の連中はよく学校で夕食を食べていったものだ。
 いつも炊飯器(ライスクッカー)を机の上に置いてあるので、自分で「ごはん」だけを食べていくという生徒もよくいた。卒業するころには、ここのカナダ人はみんな「ごはん」、つまりお米が好きになっていた。
 天気の悪い日には、地下室に誰かが持ってきた卓球台で、みんなでピンポンゲームをして楽しんだこともある。若者たちにとっては「CMフライトサービス」は格好の遊び場だった。
 私にとっても、彼らはみんな自分の子どものようなものだった。

 だがまだ20代の若い連中を相手にしている私は、ともすると自分の年齢を忘れがちだった。
 ある2月の寒い時期、外ではまだ雪が地上に凍りついているときだ。1台のチェロキーを整備員のハンガーに運ばなければならなかった。助けを求めると手を上げたのが2人、私と3人で雪の上を押していくことになった。
 一人が引っ張り、二人が押す。なかなか動かない。そこへもう一人助っ人があらわれた。飛行機は4人の力で急に転がりだした。
 若者たちは面白がってどんどんスピードが速くなる。50を越えた私は息が切れてしまって、「ストップ! ストップ!」と言ったが、止まらない。
 とうとう翼を押していた手を離してしまったら、次の瞬間、尾翼が私の後頭部を直撃した。
 前向きに倒れた私は、雪を真っ赤に染めて、顔面負傷。その日は何とか過ごすことができたが、最悪だったのは翌日だった。
 真っ黒く膨れた顔の私のところへ、突然、エドモントンからインスペクターRが飛行学校の検査にやってきた。彼は私の顔を見て驚いていたが、幸い、プロペラがまわっていなかったので、ただの地上事故ということで処理された。

 
c0174226_21281536.jpg

▲チャーリー君

 小ネコだったチャーリー君もだんだん成長し、大変なイタズラ者になった。
一度彼を捕まえて頭をたたこうとすると、親の本能なのだろう、母親のネコが私の肩越しに飛んできて、チャーリーをかばったことがあった。その母親がある日突然姿を消してしまって、ずいぶん探したが、出てこなかった。
 
 それからしばらくして、ある晩ソファにチャーリーと共に横になっていると、半開きのドアから赤、白、黒という3色の大きなトラネコが、こっそりと教室にはいってきた。
 ボブキャットに似ているが、尻尾が長く、あとで聞いてみるとこれはオセロットというひょうネコ?らしかった。
 そのネコがチャーリーの食事を食べているのに、チャーリーはと見ると、いつもと違って黙っている。ちょっと様子がおかしいので、私は立ち上がるとそっと大きなネコのほうに近寄った。
 トラネコ、いやひょうネコは、私を見てさっと地下室へ降りていった。
 あとを追いながら、私は階段の踊り場で、教室へ出るドアと外へ出るドアを閉め、地下室へ。途中で手にモップをつかんだ。ひょうネコは尻尾を高く上げているので、体は見えなかったが、尻尾の先だけがちらちらと見えている。
 
 ネコは水のタンクのまわりを1回転すると、また来た道をもどって行く。踊り場に出ると、さっき半開きだった内側のドアも外側のドアも閉まっているのに気がついたらしい。彼は音もなく6フィート(180センチあまり)も跳ね上がった。
 私はモップで頭をたたいたが、彼は声ひとつ出さなかった。また高く飛び上がったがどこにも出口はない。そこで私と目が合うと、前歯を剥き出しにして世にも恐ろしい顔になった。私ののどを狙っている……。
 私は右手で外側のドアを押し開けた。ひょうネコはさっと暗闇に消え、それっきり2度と教室にはやってこなかった。
 このあたりのことに詳しいところをみると、どうもあれがチャーリーの父親ではないかと思った。

 その年、1981年の秋のことだった。
 朝方に霧がよく出るようになったころ、私をブルックスに連れてきた若いブローズ君が、石油会社の社員と北の方へ飛び立った。どうしてなのか、その朝に限って、生徒の数人が「ブローズ君はどうした?」としきりに情報を聞きにくる。
 
 胸騒ぎがした。悪いニュースは人の間にどうして早く伝わっていくのだろう。
その日の夕方6時のニュースで、ブローズ君がエドモントンの南で、鉄塔に引っかかり事故死したと知らされた。同乗していた石油技師は病院に運ばれたという。
[PR]
by eridonna | 2009-11-20 23:56 | 第10章 私の飛行機学校