まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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二度とやりたくないフライト

 私もたくさんのフライトを経験してきたが、中には2度とやりたくないものもかなりある。

 その1。夏も近くなったある夕方、獣医のF氏から電話があった。
「ここから30マイル西、ローモンドの町の近くの農場で、牛が死にかけている。すぐ飛んでくれないか」
 私はセスナを用意して待った。やってきたドクターFとすぐに飛び上がり、15分で目指す農場に着いた。農道に着陸したとき、電線が脇にあるのが目に入った。
 太陽はもう地平線にかかっていた。このあたりは北緯51度、たそがれは30分は続くだろう。私はお願いした。
「ドクター、30分以内に戻ってきてくださいね。太陽が沈む前に」
 だが、彼が戻ってきたのは30分どころか、2時間後だった。あたりはすでに真っ暗。しかも90度の横風ときている。
 
 農場の人々がトラックを2台走らせて来て、ヘッドライトで農道を照らした。
 私はフラップを20度出して、電線にぶつかる前に離陸した。右翼の下に、かろうじて越えた電線が見えた。
「こんなスタント(曲芸飛行並みの離れ業)は毎日はやりませんからね」とドクターに言うと、彼も黙ってうなずいた。

 その2。ある日、もうそろそろ夕方になり、生徒が来るころだと思いながら、ランプにパークしてあるCF―WUPのところに歩いていった。
 半開きのドアから、チャーリー君が中に入り込んで座席の上で昼寝をしていた。
ドアを閉めてプロペラをまわす。一人の生徒がランプに駆け足でやってきて、手まねで「乗せてくれ」と頼んだので、私はオーケーと言ってドアの掛け金をはずした。
 
 彼は翼の上に乗って、ドアを開けると座席を見た。途端に悲鳴。しかしともかく機内に座るとベルトを締めた。
「チャーリー君と同乗するのは構わないのですが、僕はネコの毛アレルギーなんです……。ハ、ハクション!」
 くしゃみでチャーリー君のほうが驚いて、うしろの座席に飛び移った。
 
 私はランウエイ30に着いて、エンジン全開。数秒でテイクオフ。するとチャーリーはおびえて私の肩に乗った。
 次に彼はウインドシールドに飛び上がり、跳ね返って私の操縦桿をうしろ足で踏んだ。
 飛行機が右旋回しそうになる。次に生徒の膝の上に着地、生徒は「うわあ」と言いながらくしゃみをこらえようとするが、止まらない。
 5分間の騒々しいフライトを終えて、タクシーウエイにはいる。右のドアを開けると待ち切れなかったチャーリー君はさっさと出て行き、彼のくしゃみもようやく止まった。
▼飛行機点検
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 その3。石油関係の技師が一人、午後2時ころやってきて、スリーヒルズという町に飛んでくれと言った。
 すぐにチェロキーに乗って90マイル北西に向かう。飛行時間は50分ほど、無事着陸して彼をおろし、一人で帰途につく。
 私はランチをまだ食べていなかったので、とてもおなかが空いていた。もってきたサンドイッチを二つとも食べてしまった。
 とても満足して、いい気持ちで5500フィート上空を南東に向かって飛ぶ。ところがしばらくして、エンジンの音がおかしいのに気づいた。
 
 いつもと違って変な音がするのである。
 こんな音がするようではとても危ない。帰ったら整備士のJ君に相談しなければならない……と考えているところで、ふっと目がさめた。
 エンジンの音は正常だった。

 さっきのおかしな音は、エンジンの音と重なった私のいびきだったのだ!
 天気は快晴、おなかはいっぱい、仕事も終わってたった一人でいい気持ち。しかもよく知っている地元の空だからと、つい緊張がゆるんでしまったのだ。
 時間を見ると、おそらく10分近く居眠りしたらしい。コースを20度も外れて南に向かって飛んでいた。危ないところだった。
 
 あとにも先にも空の上で居眠りしたのは、このときだけである。
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by eridonna | 2009-11-19 23:57 | 第10章 私の飛行機学校