まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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風は吹きたいところを吹く

 1985年の7月末、42マイル(67キロ)南にあるヴォクスホール空港へ出張教授のために出かけることになった。ブルックスの女生徒を一人連れて行く。
 
 このあたりはジャガイモの産地で、夏は忙しく、農家の若者たちはブルックスまでドライブする時間がないのである。そこで彼らのためにここで地上学校を開いて、よく半日を過ごしたものだ。
 夕方になり、ただの積雲がむくむくとした積乱雲となり、雷とともにやがて激しい嵐となった。これではとても飛びあがれない。
 ターミナルビルの中で、持参したサンドイッチの夕食を済ませる。
 人口の少ないアルバータ州の草原地帯では、エアポートはどこでも町から2マイル以上離れている。そこで出かけるときは必ず、生徒の分も含めて飲み物・食べ物を持参する習慣が身についていた。今日も持ってきて、正解だった。
 
 嵐はなかなかやみそうになかった。静まるまででひと眠りしよう。
 いつのまにか長い時間が過ぎ、あたりが静かになったので、目がさめた。時計を見ると午前1時である。女生徒を揺り起こし、
「嵐は行ってしまったようですよ。帰りましょう」
 彼女は眠そうに起き上がり、公衆電話からブルックスの家族に電話をして、今から帰ると家族に知らせていた。
 外に出ると今夜は月もなく、真っ暗だった。
 空港のランプに立って二人で当たりを見まわす。夏の嵐は過ぎ去って、見上げれば星でいっぱいの空。雨できれいに洗われた飛行機が夜空の下で光っている。
 外側をチェックしてから中に乗り込み、エンジンをまわして、滑走路の東の端に着く。機首を西に向けて離陸した。
 あまりに真っ暗な夜なので、星までがさっきの雨に洗われたように、ひとつひとつ鮮明に輝いて見えた。
「ああ、なんてきれいなんでしょう。まるで宇宙旅行をしているみたいですね」
 まだ眠そうにしていた生徒が、それでも感動してつぶやいた言葉を思い出す。

 進路は北だ。だが強い西風のために、10度西に修正。350度の方向に機首を向けてブルックスを目ざす。
10分ほど経ったころ、それまでの静けさを突き破り、突然、何か見えない穴にでも落ちたように右の翼が横転した。操縦桿を握った手が急に固くなる。いつまた起こるかもしれないと、私は見えない敵に備えた。
「今のは何だったのですか」
 生徒がびっくりして、今度こそ本気で目がさめたらしい。
「風の吹き溜まりでしょうね」
「吹き溜まり?」
「ええ、二つの方向の違う風がぶつかるところですよ」
 私は思い出しながら続けた。
「聖書にも書いてあったわ。風は吹きたいところを吹く。音は聞こえるけれどもどこから来てどこへ行くのか、わからない……。(ヨハネ伝3章8句) でも確かに私たちは感じたわね」
 
 10マイル先にエアポートのあかりが見えた。雨のあとの空気は澄んでいて、遠くまでよく見える。だがなんだか、勝手が違う。町が小さいのだ。人口が2000人ほどしかなさそうだ。ブルックスならこれよりずっと大きいはず……。
「一体全体、ここはどこかしら」
 二人して目を凝らして前方を見つめた。
「まあ、ここはバサノ町だ。ブルックスよりも25マイルも西にあるのよ。それにしてもどうしてこんなに西に流されたのかしら」
 私はつぶやいた。すぐ思い当たるのはさっきの風の吹き溜まりである。
「そうか、さっきの吹き溜まりで、ヴォクスホールを出るときは西風だったのに、東風に変わってしまったのにちがいない。10度も修正したまま飛んでいたから、西へ行き過ぎたというわけよ。 この飛行機には、航法用の計器がついてないからね」
 さて、機首を東に向けると、はるか向こうにブルックスの空港のライトが点滅しているのが見えた。

 東風は思ったよりも強かった。主要滑走路の12に進入しようとしたが、40ノットもある90度の横風では、どうにもならない。仕方なく、上昇してやり直す。
 今度は滑走路灯のついていない真っ暗なランウエイ02に進入。
 進入中は機首が下を向いているので、機のランディングライト(着陸灯)で地面が見える。地面から5フィートの高さで機首を引き起こし、水平にするともう何も見えなくなる。暗闇で何秒間か祈っているうちに、車輪が接地するのを感じた。
 
 やれやれ、何とか帰ってきた。今日も無事で過ごせたことを神に感謝する。
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by eridonna | 2009-11-16 00:30 | 第10章 私の飛行機学校