まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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いよいよ飛行訓練

 ポール・ティサンディエ飛行機学校に向かうため、サン・ラザール駅のいつものプラットホームから急いで電車にとび乗った。と、その電車は全く方向違いに走り出したので、私はあわてた。隣りの乗客に聞くと、出発する電車の行き先とプラットホームは毎回変わる、サインボードをよく見なさい、と言われてしまった。今までは偶然同じだったというだけで、自分の早合点だったらしい。恥ずかしかった。
 それなら車でも買ったほうが遅れずにすむのではないかしら、と思いつく。
 その頃勤めていた電子部品会社の社長の運転手の世話で、1960年の型のルノーを買い求めることができた。確か600フランだったと思う。当時の月給が1200フランだったから、ひと月の収入の半分、というわけだ。

 2日前に免許証もとれたという日、意気揚々として、得意顔で午後2時のパリ市内の真ん中を試運転することにした。
 ところがコンコルド広場に出たものの、広場をぐるぐるまわりながら、なかなか出たい道路に出られない。外側の車道に入りたくて合図しても、誰も私を入れてくれようとしないのだ。私は日本にいたときも車を運転していたから、運転技術にはある程度自信があったのだが、パリのドライバーは日本のドライバーとだいぶ勝手が違うらしい。

 仕方なくコンコルド広場を3回もぐるぐるまわってしまった。と、どこからともなく警察のトラックがフランス特有のあの音(プーカープーカー)を鳴らしながらやってきて、私の車の前で止まる。ポリスが二人出てきて、
「免許証は?」
「はい、これです」と見せると、
「ああ、とりたてのほやほやだね。車検証は?」
「はい、これ」
「あれ、これも今日発行だ」と言うので、
「たった今、車を買ったところなんです」と、弁解する。もう一人のポリスが
「ライトをつけなさい」と言う。私はすっかりあがってしまって、
「どこにスイッチがあるか、わからないので、見つけてください。でも今は昼間なのに」と言うと、一人が座席に手をいれて、
「マドモアゼル、これです。車の練習をするのはいいけれど、パリのど真ん中で午後の3時に運転するには、よほど腕が立たないと行きたいところに行けませんよ。まあ、朝早く、午前3時頃ならだれも通らないから、その時刻に練習なさい」
 と言うと、さっさと去っていった。

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 やれやれ、そこでなんとかパリ1区から当時住んでいた8区に出て、ホテルの近くのロケピーヌ街で駐車場を探すが、見つからない。さんざん考えたあげく、ナポレオンのお墓のあるアンバリッド広場に行ってみた。

 おやまあ、同じことを考える人のなんて多いこと! どこもいっぱいだったが、やっと2、3日置いても大丈夫そうな場所へ停めることができて、手帳に場所を書きとめる。
 そこから地下鉄で2駅乗ると、私の住んでいるロケピーヌ街だ。パリの真ん中で車を持つことは大変なんだと、あらためてわかった。

 週末には朝早くアンバリッドに出て、車を探す。あった、あった。私の車。

 ところがよく点検すると、ホイルキャップがひとつ足りない。そこへポリスが歩いてきて、「マドモアゼル、何かトラブルでも?」と顔を突っ込んできた。
 あ、またジャンダルム(ポリス)だ、ともかくパリ市内にはやたらと多いのだ。すかさず、
「だれかにホイルキャップ一個、盗まれました」と訴えると、
「そのくらいですめば軽いほうですよ。なにしろここはアンバリッド(傷病兵という意味もある)と呼ばれるところだからね」
 と、冗談を言いながら行ってしまった。

 パリ郊外に車を走らせ、エコール・サンシールに8時頃着くと、もう2、3人の生徒たちが先に着いていて、父親役のビドゥーユの命令のもとに、格納庫から飛行機を出していた。
 この学校では、1940年代にキャンバス地を張って作られたパイパーJ3という古い小型機を使っていた。

 3機とも狭い格納庫にしまっておくのだが、とても奇抜でおかしなことに、機体のしっぽにチェイン(鎖)をつけて、天井からつり下げる形で格納していた。つまり、3機とも逆立ちした格好でしまっておくのだ。そうすればたしかに狭い格納庫におさまるのだが、出し入れの時には、相当の注意が必要だった。 
 こんな例はいまだに、日本でもカナダでも私はほかに見たことがない。パリのこの学校だけである。

 ともかく、飛行機を格納庫から無事に引き出すと、ビドゥーユは一日のフライトスケジュールをみんなに話す。私はその日は午後2時までフライトなし。
 すると、ギュットマンという69歳の男性が「二人して南部のほうへ飛びましょう」と言ってくれた。彼は第1次大戦で活躍したパイロットで、年齢のせいもあるが、かなり長い飛行時間の保持者でもあって、耳がだいぶ遠くなっておられた。ご自分では「私はエンジンの音さえすればなんでも聞こえるんですよ」と妙なことをおっしゃる。

 さて、そこでムッシュウ・ギュットマンと私は二人で出発した。そのフライトから戻ってきたのは12時をとっくに過ぎていた頃…。
 私たちは昼食の時間に遅れたお詫びを言いながら、みんなが待ってくれていた食卓につく。ビドゥーユは一人も欠けている者はいないねと確認して、
「では、ボンヌ・アペティ(いただきましょう)」
 突然、あたりに音が響いた。ナイフとフォークがお皿の上でカチャカチャと小刻みに鳴っている。誰だろう? 確かめるひまもない間に、ビドゥーユが、
「わかった、わかった、マドモアゼル・カミカゼ。いったい何が起こったのかね?」
と聞くのである。
 そこでやっと我に返った私は、なんと音を立てていたのは自分だったのか、とはじめて気付いた。仕方なく、ことの次第を報告することになった。

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 その朝、ムッシュウ・ギュットマンと私は、ミニカブという、フランスで流行っていた「2座席、低翼、単発(エンジンがひとつ)、60馬力のホームビルド」の機種を点検し、乗り込んだのだ。
 この飛行場はあたりが広い草原で、2機が同時に離着陸できる広さがあった。管制官(コントローラー)は滑走路の脇で、黒と白のチェックの旗をふって、離陸の許可を与える。(自動車レースと同じ)
 ムッシュウ・ギュットマンは、離陸後、東へ出て右旋回、南に向かった。

 空から見るとあちこちに昔の城があり、寺院がありと、ヨーロッパらしい美しい景色が広がっている。 
 彼はこの飛行機がいかに操縦しやすいか、見せてあげようと言って、機首を上げ、エンジンを切った。たちまち機は失速する。首を下げて、水平飛行に戻る。また機首を上げ、失速、機首を下げて水平飛行、とこれを繰り返しておもしろがっていた。

 それが20分も続いただろうか。そのうち「この辺にエア・フランスの代替飛行場(旅客機緊急着陸用)があったはずだが」と探しはじめて、「あった、あった、こんな長い滑走路をだれも使わないとは勿体ないじゃないか」と言いながら、高度を下げていく。
 ラジオのないホームビルドの機種なので、一度滑走路の上を30メートルくらいの高さで飛んでからファイナルコース(進入路)に入ると、管制塔から緑色のライトが光って着陸許可がでる。 タッチダウンして滑走路の上を半分ほど転がしてから、彼は再びエンジン全開、数秒で離陸してしまった。

 その時だ。突然、私は頭がやけに冷えるので上を見た。
びっくりしたことに、前方のキャノピイ(天蓋)が開いているではないか。このまま飛んだら、数秒後にはキャノピイ全体が吹き飛んでしまうだろう、と咄嗟に頭で考えた。そうしたらたちまち失速し、墜落する……。
 私は反射的に両手をキャノピイの下の端にかけ、自分の全体重でぶら下がってそれ以上キャノピイが開かないように必死で押さえる。次に左腕でムッシュウ・ギュットマンの右手を押した。気が付かない。もう一度。2度目にやっと彼は目をあげ、ことの成り行きを即座に理解した。すぐに左旋回し、緊急着陸。停止。
 滑走路の真ん中でストップしたまま、外れた錠をかけ直し、何ごともなかったように再び離陸すると、飛行学校まで戻ったというわけだった。

 飛行機からおりても、私はひとことも言葉を発しなかった。頭の中で、何も考えられなかったのかもしれない。
 食卓に落ちついてはじめて、からだ全体にふるえがきた。それで手にしたフォークやナイフが自分でも気がつかないうちに、小刻みに音を立てていたのだった。体の深いところに刻まれた恐怖は、表面に出るまでは時間がかかるというが、本当だった。

 私はとても怖かったのだ。
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by eridonna | 2009-12-26 22:07 | 第2章 初単独への道