まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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モントリオールの暮らし

 モントリオールはヨーロッパを近代化したような大きな都会だった。
 勤めている弁護士事務所では、秘書として速記や電話の応対もしたが、あるとき電話で裁判官と打ち合わせをして、では今からお宅の事務所にファイルを持って伺います、と電話を切った。5分後にその事務所のドアをノックして、顔を出す。
 すると「あなたは誰か」と聞くので、「さっき5分後に行くと言った者です」、と答えれば、私は中国人ではなくフランス人を待っているのだと素っ気なく言われた。
 あなたと電話で話したのはこの私ですよ、と説明すると、相手もようやく本当だとわかってとてもびっくりしていた。
 私のアクセントは在日フランス大使の秘書をしていて鍛えられたものだから、電話ではてっきりフランス人だと思われてしまうのだった。

 この弁護士事務所では離婚のケースをたくさん扱っており、中にはずいぶん気の毒な女性もいた。
 ある女性は27才の若さで、8人の子どもを抱えていた。しかもそのうち二組は双子で、あと2週間で9人目の子どもを出産するという、大きなおなかをしていた。そしてこんなに切羽詰ったこの時期に、まさに離婚しようとしているのだった。
 いろいろ話を聞いているうちに、目の前で泣き出してしまった彼女を慰めながら、こんなに自由で広々とした国なのに、裏を見ればこれほど悲しい話が多いなんて、いったいどういうわけなのだろうと考えこんでしまった。

 そうかと思うとこんなこともあった。昼食の時間には、私はいつもきまったレストランに出かけていたのだが、ある日、ウエイトレスが
「もっと何か栄養のあるものを食べないと病気になりますよ」
と注意をしてくれた。仕方がないので、
「毎週末に飛行機に乗るので、その分お金を使わないことにしているのです」
と正直に打ち明けてしまったのだ。
 するとその日から彼女はわざとコーヒー代を請求書に書かなくなったのである。この国には、こんな親切な人もいる。彼女の無言の思いやりが本当にうれしくて、心からありがとうと感謝した。

 もう単独飛行も10時間以上になり、あとはクロスカントリー飛行(遠くへでかける航法)を一人で3時間飛ばなければならない。毎週15ドルの枠ではとても費用が足りない。そこで、持っていたヒスイの指輪や、ミキモトの真珠のネックレスやイヤリングなど一切を質屋に入れると、200ドル位にはなったので、ホッとした。これで当分安心して飛ぶことが出来る。

 数日して、隣の会社のロランドさんと昼ごはんを食べているときだった。
「あなた、いつもはめている指輪はどうしたの」と聞かれる。
そこで「実は質屋に入れたのよ」と言うと、彼女は顔色を変えて、翌日質屋に入れたものを全部出してきた。
「こんな大事なものを200ドルくらいで流してはもったいないわ。いつでも、あなたにお金が出来たら返してくれればいいから」
と言って私の前に差し出した。
 私はモントリオールの女性のやさしさ、思いやりに思わず涙が出てしまった。
「ロランド、私はもうあきるほど、この真珠や指輪を身につけました。今度はあなたがつける番ですよ」 と言って、彼女の前に押しやった。
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▲ロランドさんと私。

 私は自分から望んで外国に出かけ、そこで暮らし始めた。でも私が外国に出た時代は、東洋人や女性に対する偏見や差別は今よりもずっとひどく、厳しいものであった。
 まして、これは私の武器でもあったが、言葉が理解できるために、他人が喋っている悪口が全部わかってしまうのである。内容がわからなければずっと気楽に過ごせたと思うが、白人の東洋人に対するあからさまな偏見が全部聞こえてくるので、これはつらかった。

 だが幸いなことに、私は生まれつき小さなことは気にならない性質で、嫌なことがあっても2、3日たてば忘れてしまうことも多かった。
 例えば何かの話のついでに「JAP!」と呼ばれたこともある。そのときは腹も立つが、カナダの白人にとっては第2次世界大戦の始まりとなった真珠湾攻撃がよほど痛手だったらしく、30年もたった今でも忘れることができないのだなあと思うくらいで、気にしなかった。
 それがこの国で、私自身が気持ちよく暮らせるコツなのだった。
 
そして、そんな中で、フランス人のモニクやカナダ人のこのロランドのように、女性の友人たちはいつでも私の味方だった。私が異国での暮らしに悩んでいるときに 熱心に耳を傾け、話を聞いて適当なアドバイスをくれた。彼女たちは言いたいことはっきり口に出すが、その反面、相手の気持ちを理解する余裕ももっていて、温かい思いやりでできる限りの助力を惜しまなかった。
まだまだ男性中心の世の中で、どれほど苦労しているのか、私たちはお互いに知っていたからだと思う。

 私が当時のモントリオールで借りていた小さなひと部屋のアパートは、月の家賃が60ドル。
アパートの地下には洗濯室があり、ある日、たまった洗濯物を持って降りていくと、一人の女性がやはり洗濯している最中だった。しばらくすると彼女のほうから話しかけてきた。

「失礼だけれども、あなたはどこか東洋人の血が混ざってますか?」
「ええ、100パーセント日本人ですよ」と言って笑うと、
「ああ、そうですか、モントリオールには日本人は少ないです。東洋人と言うとまず中国人が頭に浮かびますから。それにフランス語を話す東洋人はとても珍しい」と人なつっこい。
 彼女はひまらしくて,洗濯が終わると私の部屋にやってきて、
「何を作っているの?」
「ご飯を炊いて、フライドライス(いためご飯)にするところなの」
「おいしそうね。でもそれだけ?」
と聞くのでうなずくと、
「カナダは寒い国ですから、肉を食べないと病気になってしまいますよ」
と、レストランのウエイトレスと同じようなことを言う。たしかにそのころの私の食生活といえば、ごはんにおしょうゆをかけただけとか、せいぜい卵か野菜炒め、という質素なものばかりだった。
「ちょっと待ってて。私は4階の部屋におかずを取りに言ってくるから、今晩一緒に食事しましょう」
 
 彼女はすぐ戻ってきて、台所の流し場に巨大なステーキ肉をどかっと落とした。その晩は、彼女の親切とステーキの栄養のあるカロリーで、身も心もとても温まった。
 食事をしながら、彼女の身の上話に耳を傾ける。
 彼女は結婚していたが、ある日家に帰ったら、見知らぬ女が夫と一緒にベッドにいたためにそのまま家を飛び出し、それっきり家には帰っていないということだった。
 彼女の話では、カナダでは冬が3カ月と長く、その間どうしても家にこもりがちになるためにさまざまな問題が起こるとのことだった。
 突然雪が降り出して、あっという間に7、80センチも積もってしまうため、どれが自分の車かわからなくなってしまうとか、3日間も雪が降り止まないために自分の家に帰れず、深い仲になってしまう男女関係とか、思わず苦笑してしまうような悲劇がたくさんあるらしい。
そ の日から彼女ドニーズと親しくなり、しばしば夕食を共にするようになった。
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by eridonna | 2009-12-22 00:46 | 第3章 モントリオールへ