まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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コーパイロットの仕事

 こうしてIFRの証明を手に入れると、たびたびコーパイロット(副操縦士)の仕事をすることができた。

 たいがいは南に向かうアメリカ行きの仕事なので、まずニューヨーク州のバッファローで通関のために着陸する。
 ところがここで、私のパスポートが日本のものなので、アメリカの税関と移民局で質問と調査を受けているといつも30分近くかかってしまうのだった。
 あるときは機内で待っている6人の乗客は競馬に出場するジョッキーたちで、目的地のフィラデルフィアに到着する時間が遅れてしまうのではないかと、とても心配させてしまった。
 
そういうことが重なると仕事をする上でとても不便であるし、これはカナダのパスポートを手に入れたほうがよさそうだった。
 つまり国籍を日本からカナダに変更するのである。カナダに来てからすでに5年になる私は、移民法によってカナダの市民権を取れることがわかった。
 カナディアン・フライヤーズのマネージャー、ウイルソン氏が私の身元保証人になってくれた。
 裁判所に出向いて、カナダの地理と歴史についてあらかじめ面接試験があり、さらにひと月に1回開かれる宣誓式に出席しなければならない。聖書に手を置いて、カナダとイギリス連邦の元首であるクイーンエリザベス2世に忠誠を誓うのである。
 カナダは多民族の国家である。
 さまざまな人種と融合しながら、みんなで仲良く生きていこうというこの国の趣旨に心から共感した私は、1971年12月、カナダ人としての市民権を獲得した。

 
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 それからしばしば、チャーターフライトの仕事でデイヴ君と一緒に乗る機会があった。
 セスナ411という双発、300馬力、8座席の飛行機で、オンタリオ湖の対岸にあるフオートエリーの町まで1日に5回、往復したことがある。夏になると、この街では競馬が盛んに行われ、それに出かける人々の輸送であった。

 それは午後5時ころの最後のフライトだった。
 200ポンド(90キロ)以上はありそうなお客が一人最後尾に乗って、とても軽そうな女性が前の方の座席にいた。キャプテンのデイヴ君が、何とか客を説得して、前の女性と席を交換させてくれと言う。
 私は2度、3度、この大きい男性に丁寧にお願いした。が、彼は頑として動かない。競馬で損をしたのか、ご機嫌がとても悪い。しばらく待ったがどうしようもないので、デイヴ君は、現在の外気温と最大重量を使って、離陸距離は何フィート必要か、厳密に計算した。

 この飛行場の滑走路は2000フィートちょっと、風は5マイル、ぎりぎりあるいは少し足りないくらいであった。しばらく考えた末に、デイヴ君は離陸する決心をした。「ショート・ランウエイ・テイクオフ」という技術を適用すれば可能、という判断だった。

「エンジン全開、次にブレーキを離す、スピードが90ノットに達したら、コーパイ(副操縦士)の私がフラップを10度出す」
ということにして、滑走路のもっとも端の位置に着いた。
 デイヴ君が2個のエンジンを全開する音と共に、機体は走り出したが、滑走路の3分の2に来てもスピードは80ノットを下回っている。私は、
「ランウエイ エンドです。ハイ、10度フラップ」と言って、フラップのスイッチを押した。途端に機体は首を高く上げて空中にジャンプした。

 すぐ私とデイヴ君の4本の手が機首を押さえた。
 明らかにテールヘビー、お尻が重たいのだ。そのまま水平飛行して、18分でトロント上空に達し、すぐ着陸許可をとってランウエイ32に降りた。
 着陸装置が地面に着くと同時に、前の車輪が浮き、尾部が地面に着きそうになった。
 わずか18分のフライトでも、羽根の中に積んでいるガソリンが軽くなったために、テールヘビー状態がさらに悪化したのだ。コントローラーが、
「CF―YQS、セスナ411、いつ尾輪に改造したのか?」
と聞くありさま。
 笑いごとではなかった。2度とやってはならないことだった。

 このころ、エアカナダがボーイング747を購入し、その第一機がトロント国際空港にお目見えするというニュースが、運輸省の公報に出た。
 その日、私は空からジャンボジェットの到着を見ようと、パイロット仲間の3人と一緒に、ローカルフライトで飛びあがった。するとコントロールタワーから、
「あと15分で747がランウエイ32にアプローチする予定。訓練中のフライトはすぐ地上に降りろ」と命令が来た。

 何で空を空っぽにするんだろう?と私たちはいぶかしんで、もう一度わけを聞いてみた。
 コントロールタワーからの答えは、乱気流がどのくらい付近にいるエアクラフトに影響を及ぼすかまだわかっていないからだとのこと、しぶしぶフライトを終えてランプに戻り、双眼鏡を持ってきて、747が近づくのを待った。
 現在では誰もジャンボジェット機を珍しく思わないだろうが、28年前にはじめてその巨大な機体を見たときの印象は、みんな声をそろえて、
「うわあ、大きい! まるで太った猫みたい。あれを空中に浮かしてもいいのかしら」というものだった。
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 もうひとつ、忘れられないフライトがある。
6カ月ごとに行うIFRの再テスト、もちろん最初のテストよりはずっと楽になったが、また試験官H氏がやってきた。
 機種はパイパーアズテック。双発エンジン、250馬力、6座席。

 その日は朝から雪になり、視界は2分の1マイル。つまり、左座席前方のウインドシールドに例のカバーをつける必要なし、という本番の「計器飛行」になった。
 トロントの近くにロンドンという空港がある。そこで必要な操作のテストを行い、帰途に着いた。
トロントのコントローラーに連絡すると、現在、トロントの上空は視界ゼロということだった。

「ロンドン空港で天気回復を待つか、それとも今日は特別に空軍のレーダーオペレーターがいるので、GCAのサービスもできる」と言ってきた。

 GCAというのは、グランドコントロールアプローチの略で、エアクラフトの高度、位置をレーダーで把握して、管制塔がパイロットを滑走路まで誘導することだ。H氏は、「あなたの手さばきを見るよいチャンスだ」とGCAサービスを受けることに承諾してしまった。

 トロント国際空港から15マイルのところで、GCAオペレーターは10秒間隔で話しかけてくる。こちらは返答無用、ただそれにしたがって必死で操作をするのだ。
「CF FGT、ランウエイ05レフトに誘導します」
私は計器を05レフトのILS(計器で着陸するシステム)周波数にセットする。
「ランウエイ(滑走路)入り口までは5マイル、高度OK、左に修正」
 私は左足でラダ―(方向舵)を踏んだ。と今度は、
「高度ちょっと高すぎ、ILSはセンターでOK」
私はエレベーター(昇降舵)を少し押す。
「高度OK、右に修正」

 こうしてずっとオペレーターは話し続ける。気がつくと、セットしてある計器の針の動きは、コントローラーの指示より1、2秒遅れてそのとおりになる。
 なるほど、GCAとは正確なものだと思った。
 外は一面真っ白で、何も見えない。
 そろそろ着陸装置を出して、ファイナルチェック完了、滑走路の入り口から2000フィートのところにあるビーコン(信号灯)が鳴っている。

「ランウエイ上空10フィートです。数秒で接地します」
と言われたので、私は2個のエンジンを切って減速する。
 3つの車輪が地面に着いたのを感じた。機首のすぐ下に、センターラインらしい白い線がおぼろげに見えた。H氏はこの間ずっと黙っていたが、
「さすがに空軍の連中はうまい。ちゃんとセンターラインに乗っている」
と言って、感心していた。

 そこからさらにレブンスハンガーへ、ハンガーのドアから10フィートのところまで、まるで目の不自由な人を誘導するように、レーダーでガイドをしてくれた。
 私はこのときほど、一人のオペレーターを信頼してその指示に従ったことはなかった。
 何もかも無事に終わって、心底ホッとする。ラウンジでコーヒーを飲もうとすると、手がカタカタ震えて、しばらくコーヒーを飲むことさえできなかった。
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by eridonna | 2009-12-13 16:42 | 第5章 トロント国際空港