まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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ブランプトン フライング クラブその1

 
 ブランプトン・フライング・クラブでの教官としての生活も、次第に軌道に乗ってきた。

 朝8時から夕方6時まで、何回も空に飛び上がっては降りてくる、その繰り返しで忙しい毎日となった。ときには夜間飛行もあり、そんな日には家に帰るのが午後11時を過ぎてしまう。
 家に着くまでの30分のドライブの間につい居眠りをしてしまうほど、疲れていることもあった。

 でも好きな仕事をしているので、私は幸福だった。

 天気が悪くて飛べない日は、生徒が大西洋のサケを一匹持ってきてくれることもあった。カフェテリアで私がそれを料理すると、マネージャーや他の教官3人、そこに居合わせたラッキーな生徒たち、みんなでわいわいと食事をしながら本当になごやかなひとときを過ごしたものだ。
 はじめのうちは、女性教官に対する不安とでもいうか、一種の警戒心が何日か続くのが常だったけれども、生徒たちはすぐに私を受け入れてくれるようになり、そのうち大歓迎されるようになった。

 ▼ブランプトンの生徒の1人 ジョルゲン君c0174226_17513280.jpg 

 ある日、これから訓練に入るという新入生の初飛行の日であった。
 生徒は中年の男性で、さて飛んでみましょうと私が顔を出すと、彼は立派な三つ揃えのスーツという格好をしていた。
「あら、今日はどこかへお出かけになるところなのですか?どなたかの結婚式?」
と聞くと、彼は胸を張って答えた。
「いいえ、あなたと飛ぶからです」
私は恐縮してしまったが、
「今度からもっと自由に体を動かせる、スポーティな格好で来てくださいね」
とお願いした。
 生徒の数が増えるにつれて、昼ごはんを食べる時間もないほど、繁盛してきた。
 風の強い日や霧の降りた朝などに、やっと体を休ませることができる、という具合であった。

 ある朝、風がまだ強かったので、みんなでコーヒーを飲んでいると、新入生の一人がやって来て、「ぜひ飛びたい」と言う。
 彼の顔が少し赤みがかっていたのが気になったが、
「それでは飛びましょうか」とセスナ150に乗り込んだ。
 彼と機内に入ってはじめて気がついた。なんと、お酒くさいのである。そこで、

「アルコールは何時に飲んだのですか」
「もう10時間以上たっています」と彼は答える。規則では8時間以内には乗ってはならない、ということになっている。私は一瞬、ためらった。
 風がまだ強いことがその一、生徒が二日酔いらしいことがその二、われわれパイロット仲間でよく言われることに、悪条件が3つ重なると雪だるま式にトラブルがふくらんで そこから逃げられなくなリ、致命的な事故を起こす、というものがあった。

 私は2、3分考えてみたが、せっかく飛行機に乗ってしまったのだから、ショートフライトくらいなら、と思って出発した。
 案の定、上空では40ノットの強風に吹き飛ばされ、やっとランウエイ33に入る進入路に乗ったが、進まない。向かい風で車のスピードより遅いのだ。5分ほどたって、やっと滑走路の入り口に達してホッとした。
 タクシー路に入り、どこか風の届かないところにパークしようとしてハンガーの裏にまわった。
 そのとき生徒が、何か言いたそうな顔をした。と同時に操縦桿を握っていた手に小さな感触があった。「しまった!」遅かった。
「左側に電柱が」と生徒がどんよりした目で私に言った。

 左翼の先を電柱にぶつけてへこませてしまったのだ。たったこれだけのことで済んだから幸いだったものの、これは明らかに私の判断ミスだった。
 悪条件が二つ。今後は、雪だるま式の一歩を踏み出さないように、第一の段階でとどまらなければ、と肝に銘じる。
 マネージャーには、私が翼の外板の修理代金を支払って謝った。

 それからしばらくして、教官の一人もいないストラットフォードという空港から「ぜひ来て欲しい」と誘われ、45マイル西の町に移動した。ここは演劇と俳優たちで有名な町だった。
 ここでは教官の仕事だけではなく、ガス会社に雇われて、天然ガスのパイプラインのチェックという仕事もすることになった。
 地中に埋めてあるガスのパイプラインに沿って、100フィート(30メートル)の低空で飛びながら、ガス漏れがないかどうか、チェックする仕事だ。
 漏れていると地上の草木が枯れているからすぐわかる。パイプはまっすぐ伸びているとは限らない。枝葉のように直角に曲がっていくラインもある。低いので、電柱に気をつけて飛ばなければならなかった。
 
 カナダの北からアメリカの国境に近いところまで、途中、どこかで給油はするが、一日8時間もぶっ続けに飛ぶのである。針葉樹の森や、荒れ果てた原野の上を飛ぶ。
 人っ子一人いない大地に、眼下に狼の群れが走っているのが見えた。

 この仕事は週に1回で月に3000ドルにはなったから、わりといいお金にはなった。だが毎週8時間、これをやるのである。
 一度、生徒の一人が飛んでみたいと言うので、一緒に乗せたことがある。
 練習の時は1時間しか飛ばないから、8時間のフライトというのは彼には相当きつかったようだ。降りたときにまっすぐ歩けないくらいで、まさか自分がこんなに疲れるとは思わなかったらしい。車の運転ができないから少し休ませてくれと言って、しばらく横になっていたほどだった。
 当時の私は、12時間までなら大丈夫、という自信があった。ずいぶんスタミナがあったものである。

 ストラットフォードは予告なしに突然よく雪が降るところで、駐車してある車や飛行機の雪対策で忙しい冬だった。
 どこの空港でも、それぞれ独特の問題があるものである。
 それに加えて、ストラットフォードでの教官の給料は決してよくなかったので、私はブランプトンに電話をし、再び雇ってもらえるかどうか、頼んでみた。返事はOK。たった2カ月で、私はまたブランプトンに戻ることになった。

 
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by eridonna | 2009-12-12 17:30 | 第6章 教官のライセンス