まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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カレッジの教官になる

 そこで誰かが、ブリティッシュ・コロンビア州(BC州)の州立の専門学校の航空部が教官を募集している、ということを教えてくれた。新聞の広告で見たと言うのである。
 私は早速電話で応募してみた。キャッスルガーという山の中の町にある、セルカークカレッジの航空部だという。
 数日もたたないうちに連絡があった。9月1日から、私はカレッジの教官として雇われることになった。

 さあ、大変だ、トロントからBC州に引越し、である。
 8月の半ばまでに現地に到着してアパートを探さなければならない。

 8月はじめ、ブランプトンの同僚やマネージャーに別れを告げていると、生徒の一人がやって来て、彼の母親がカルガリーのお兄さんのところへ行きたいのだけれど、私の車に同乗させてくれませんか、と聞いてきた。
 ちょうど、一人旅は居眠り運転をしそうで嫌だなあと思っていたところだった。それでは一緒に行きましょうという話になる。

 最後にスカイポートハンガーにも挨拶に行く。これまでよく双発機を借りていたオーナーパイロットのE氏に会って、
「未払いのものがあったら今、全部精算します。明日トロントを発って、BC州のキャッスルガーに行く予定ですので」
「おやおや、いい仕事でも見つけたのかね」
「はい、セルカークカレッジの航空部の教官です」
「なあんだ、仕事だったら、ここで僕が見つけてあげたのに」と言う。
「はあ、私は人にお願いするのが苦手の性分で。日本人によくありがちの……」
と、ここまで話したら、とつぜんE氏の顔色が変わった。

「あなたは日本人だったのか」
「ハイ、そうですが」
「僕はずっとあなたは中国人だと思っていたのだよ」
そして飛行記録書を手にとり、私のサインがムラカミとあるのを見ると、
「そうか、なるほどこれは中国人の名前ではないな」
E氏は少しアルコールも入っていたようだった。それまで穏やかだった彼の顔つきがゆがみ、
「僕はあなた方をとても憎んでいた。本当に、憎んでいたんだ」と強い調子で吐き出した。

 私は不意をつかれてたじたじとなり、言葉に詰まったが、勇気を出して問い掛けた。
「戦争中、あなたはどこにいらしたのですか」
「ビルマだよ。ビルマで、イギリス軍と日本軍は戦ったんだ。両方とも弾薬が尽きて、この素手でお互いに死ぬまで戦った」
と声をふるわせて言うのだった。
 彼は30年前の戦争を思い出していた。あの戦争の惨劇、そのあと何年も消えない恐怖や悲しみ。私が子どものときに感じた理不尽さを、彼はアジアの戦場で、兵士として体験していたのだった。
 憎しみと恐怖をいまだに忘れられない彼を目の前にして、私は心の中で願った。出来るなら私の前で全部吐き出してしまってください、そして、早く古い傷が治りますように……。
 
 けれども、私はかろうじてこれだけを言った。
「一部の政治家の決心した戦争に、罪のない国民がまきこまれました。
本当にひどいことをしたと思います。でもあなたが無事に生き延びられて、何よりです」
彼は少し、気を取り直したようだった。
「しかし、日本兵は強かったよ。なかなか降参しないんだ」
私に再び目を向けたときには、もうふだんのE氏に戻っていた。
「誰かBC州に知り合いでもいるのかね」
「いいえ、誰もいません」
「もしうまくいかなかったら、いつでもトロントに戻りなさい。僕が仕事を見つけてあげよう」
とまで言ってくれた。

 次の朝、車に荷物を、といっても最小限度の衣服や食器、それに航空関係の資料などを全部乗せて、生徒の母親を迎えに行った。
 二人して、まるで休暇にでも出かけるようにはしゃぎながら、住み慣れたオンタリオ州をあとにした。
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by eridonna | 2009-12-08 18:39 | 第7章 BC州のカレッジ