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まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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大陸の東から西へ 

 ブランプトンの生徒の母親と私は同じ年代だった。
 それまでは見知らぬ者同士なのにとても気が合ったらしく、この長いドライブ旅行でも、お互いにさほど疲れなかったと記憶している。
 彼女は少し貯金があるから、ガソリンとモーテル代を半分払うといって聞かなかった。私は、キャッスルガーに着けば仕事が待っているので心配しないように、と彼女に言ったが聞き入れない。グレイハウンドバスで行くよりもこの方がずっと楽しいから、と言うのだ。
 3日間の移動にかかる経費が半額で済むので、私は内心うれしかった。

 何かを計画して、当然のように必要な出費を覚悟していると、まったく予期していない人から助けてもらうことがある。フランスでもカナダでもたびたび経験した。
 どこかで誰かに守られているような、そんな気がしたものだ。

 BC州はカナダのいちばん西の端の州だ。キャッスルガーまでは、トロントから西に向かって大平原を越え、さらにロッキー山脈を越えて行かなくてはならない。
 まずトロント地区からそのまま北上して、ジョージアン・ベイに沿って、パリ―サウンドを通り、鉱山町として有名なサドベリーへ。
 五大湖の北のへりをたどるように、ブラインドリバー、アメリカとの国境スーサントマリーを過ぎる。海のように大きな五大湖のこのあたりには、いたるところに美しい島々が点在し、ドライブも楽しい。

 ここには水上飛行機の基地がたくさんある。
 夏はブッシュパイロット(人口のまばらな土地を飛ぶパイロットたち)の天国で、彼らは冬にも単発の飛行機にスキーをつけて先住民の部落に飛んでいく。観光や測量など需要はあるが、仕事としては決して多くはない。
 国道沿いにある小さな村で一泊した。
 
 翌日、五大湖の中でいちばん北にあるスペリオル湖に沿って、サンダ―ベイに到着。
 ガソリンスタンドで止まって車から外に出たら、8月だというのに、すごい寒さだった。大きな寒暖計の形をした看板が立っていて、そこにはマイナス79度Fと書いてある。よく見るとカナダでいちばん寒い場所、という表示があった。
 ここは北緯48度22分。カナダの中では南にあるのに北極圏よりも寒いとは、特別な気象条件でもあるのだろうか。
 一日以上もドライブしているのに、オンタリオ州から出ることが出来なかった。
 なんという広さなのだろう。

▼1962年型マリブでBC州へ移動。大陸の東から西へ _c0174226_1995120.jpg

 2日目、やっとマニトバ州に入り、フオートフランシスで時計を1時間遅らせる。
 ケノーラの町で休憩してはじめてレストランに入った。それまではピクニック気分で、道端で缶詰やパンなどを食べて過ごしていたのだ。
 この街はほとんど先住民の町であった。

 そしてマニトバ州の州都、大都会のウイニペグに着く。ここで2日目の夜を迎えた。
 翌日はトランスカナダハイウエイNO1をひたすら西へ。この道はカナダの西の玄関バンクーバーと東部を結ぶ、大陸を横断するハイウエイである。

 サスカチュワン州に入る。緑色の小麦畑が、見渡す限りどこまでもどこまでも広がっている。走っても走っても景色が変わらない。これがカナダの大平原なのだ。
 地平線まで続くこんなにまっすぐな道を走っていくと、ついついどんどんスピードが出てしまう。ムースジョー近くでタイヤが破裂してしまった。運の悪いことに日曜日である。
 仕方なく応急処置で予備のタイヤを自分でつけたが、この日はムースジョーで一泊することになった。翌日やっと見つけた店で新しいタイヤを取り替えて、また元気に走り出す。

 カナダでは夏は日が長い。
 夜の10時過ぎまであたりは明るく、私たちは走り続けた。

 3日目、ついにアルバータ州に入る。メディスンハットを通り、時計をまた1時間遅らせた。
 夕方やっと、カルガリーにいる、彼女のもう一人の息子さんの家に到着。夕食をいただいたあと、彼女と抱きあって別れを惜しみ、私は一人で先を急ぐ。

 南回りでハイウエイNO3を通って、いよいよロッキー山脈に入った。
 谷間の中を走るこのハイウエイは、つづら折りになって右へ左へ、さらにアップダウンもかなりある。私はアルバータ州側の小さな村のモーテルで一泊して体を休めた。

 4日目、BC州の州境を超える。
 昼前にはとうとうキャッスルガーに着いた。コロンビア川のほとりに広がる小さな山あいの町。 人口は近郊に点在する集落を含めても1万人もいないにちがいない。アメリカとの国境までは車では1時間もかからないだろう。のんびりしたところだ。

 まずは空港を探しに行く。エアポートという道路標識にしたがって行くと、すぐにわかった。
狭いすり鉢型の谷間の底にある、1本の滑走路。そしてそのまわりには、8000から9000フィートの山々が空港を囲むように連なっていた。

 ショックが私を襲った。こんな遠くまでやって来て、カナダでも最悪の条件のエアポートに就職するとは、思ってもみなかった。
 これでは生徒に教えるどころか、まず私自身が、マウンテン・フライング、つまり山岳地帯の飛行訓練をしなければならないではないか……。

 最初の日から、私はキャッスルガーに来たことを後悔していた。
by eridonna | 2009-12-07 18:52 | 第7章 BC州のカレッジ