まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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危機一髪!

 5月も末になった。コマーシャルライセンスを取った生徒は、次々にバンクーバー近くのアボッツフォード空港へ、双発機の訓練のため移動した。教官も徐々に移動して、最後に私がキャッスルガーを出て、車でアボッツフォードへ移った。

 教官たちは3週間のモテル住まい。ほとんどの生徒はバンクーバー近辺に家族が住んでいるので住居の問題はなかった。だが24人の生徒に双発機がひとつでは、あまりにも訓練時間がかかりすぎる。
 そこで航空部の部長が私を呼んで、
「明日、エドモントンまで飛んで、もう1機の双発機をアボッツフォードまでフェリーフライト(空輸)してくれませんか。機種はパイパーセネカですが、あなたには経験がありますか」と航空券を手渡しながら、聞く。
 休日にバンクーバーまでドライブして乗っていた双発機が同じ機種だったので、
「はい、10時間ほどの経験があります」ということで、すべてOK。
 翌日の朝、私はカナダ航空でエドモントンへ飛んだ。

 エドモントンで降りて、同じ飛行場内を徒歩で5分ほど歩いたところに、パイパーの代理店のハンガーがある。
 セネカのオーナーが私を待っていて、すぐ一緒に乗り、エドモントン近辺で20分、この6座席200馬力のチェックフライトをした。
 そしてガソリンを満タンにし、天気報告書を受け取り、いよいよ一人で飛び立ったのは午後の1時ころだった。

 5500フィートの高度で有視界(VFR)飛行で南に下り、カルガリー上空に来て計器(IFR)飛行に切り替えた。コントローラーからは9000フィートに上昇せよとの指示、スプリングバンクの南で9000フィートに達し、山々の上にさしかかる。

 エアカナダのDC9が、1万1千フィートで同じ航空路を反対側に向けて飛行中。2000フィートの間隔ですれ違ったが、かなり近くに見えた。
 その後私は1万1千フィートに上昇する許可を得て、上昇。山の上は厚い雲で覆われ、ひどい乱気流だった。
 谷の上空に出ると雲はなく、まぶしいのでサングラスをつける。
 あんまり揺れるので、1万3千フィートの許可を求める。2000フィート上昇してみたが、あまり変わりがなかった。

 クランブルックスのビーコン(航空信号)が鳴る。ここでポジション(位置)の報告をして、キャッスルガーのビーコンまでの到着見積もり時間をコントローラーに告げなければならない。
 ところがどうしたわけか、足し算ができないのである。
 どうして、現在の時間(15分)に見積もりの27分が足せないのかしら? まごまごしていたら、クランブルックのコントローラーが催促してきた。ともかくこれ以上待たせることができないので、到着は50分過ぎ、と言ってごまかしてしまった。
 
 すると、同じ航空路を航行中のカナダ航空の便が「クランブルック上空で50分までホールドして待つように」という指示を受けているのが、同じ周波数のラジオから聞こえた。ちょっと悪いことをしたと思った。
 幸い、しばらく飛んでいると雲に大きな穴があいていて、見慣れたネルソンの谷間が見えた。コントローラーを呼び出して、計器飛行をキャンセル、有視界飛行に切り替えてキャッスルガー空港にアプローチすると伝える。

 雲の穴から急降下、おなじみのキャッスルガーに着陸した。ガソリンを入れ、フライトサービスステーションの事務所で次のフライトプランを立て直す。
 そのときになって、私は自分の声がうわずっているのと、激しい頭痛がするのに気がついた。 そうか、これは高山病にかかったんだ。
 空気の薄いところを長く飛ぶと、こういう症状が出るのだ。うっかりしていた。それだから、足し算ができなかったのだ。
 そういえば、機内には酸素ビンも見つからなかったっけ。

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▲翼の下にみえるコロンビア川 1万フィート上空から

 少し休むと体調も元に戻って、再び離陸。
 今度は、高度を落として1万フィートで有視界飛行をする。だがペンティクトンに近づくにつれて、雲は積雲となって、強い上昇気流で持ち上げられそうになる。これではとても1万フィートの高さを保持できない。

 困った私は、プリンストンの町を眼下に見ながら、思い切って雲の穴から雲の下へ出た。
バンクーバーへ出かけるときいつもドライブする、ハイウエイNO3が見える。それに沿って5500フィートの高さで飛んだ。だがすぐ4000フィートに落ちてしまう。行く手にはさらに低い雲がたれこめているのである。

 このハイウエイNO3は、マニングパークで左折し、すぐ右に折れるはずだ。
 高度3500、スピードを落とすためにフラップを20度出して、着陸用装置の足を出した。谷の中を低空で飛ぶと山裾が大きく迫ってきて、飛行機を操作するのに充分なスペースがない。
 左折する道の上に来た。すぐに右折の場所を探したが、見つからない。どんどん左の谷に入っていく。もう右折する機会がなくなってしまった。

 コンパスを見ると、南を指している。これではバンクーバーに出る方角ではなく、アメリカに入ってしまうではないか。さらに低く飛ぶ。
 2000フィート以下! 雲は低く、どこにも穴がない。
 双発機に乗って、120マイルの低速で山の中を、谷に沿って飛ぶのは最悪だ。遅い単発機ならまだしも……。

 ふと真下に湖が見えた。地図によるとすでに国境の南側で、ベイカー山の裏側とわかった。どうしよう、どこをどう飛んだらいいのか……。
 途方にくれていると、どこからともなく、小さな声が聞こえてきた。英語だった。

「Where the water goes, you may go.」
(水の通るところはあなたも行ける)

 そうだ、水はいちばん低いところを流れるから、とその声に心の中で同意した。するとまた小さな声が、

「But,where the highway goes , you may not.」
(だが、ハイウエイが通るところはあなたは行けない)

 確かにハイウエイNO3は、ホープ町に着く手前で峠まで登り道になっている、つまり雲はより地面に近くなるというわけなのか。

 口の中で、今聞こえた言葉を何度も繰り返しながら、燃料タンクを見た。まだ半分以上残っている。
 さっきの湖が小川となり、今はかなり太い川になった。その川が90度右に曲がった。川の流れに従って右折すると、野原に出た。だが視界は1マイルもない。
 やがて行く手の雲の下に、何かが細長くキラキラと光っているのが見えた。

 なんだろう、あれは……?
 えっ、あれは海? そうだ、海だ! 海の水が夕日に照らされて、雲に反射しているのだった。
 
 そう思ったと同時に、喜びと安堵で思わず叫んでいた。
「山岳地帯から出た!」

 これでもう山にぶつかる心配はひとまずなくなった。
 けれども相変わらず視界は悪く、もう2分の1マイルしか前方が見えない。アボッツフォードのビーコンの周波数に合わせ、計器の針に従って進んだ。
 小高い丘や電線に注意して、やっとのことで国境を越えてカナダ側に戻り、南からアボッツフォード空港にたどり着いた。

 当初の私のフライトプランよりも30分も過ぎていたので、コントローラーはもうダメかと思っていたという。
 あのとき、プリンストンを過ぎて、もし間違わずにちゃんと右折してホープに向かっていたら、私は生き延びられなかった。
 左折したまま南部をまわってしまったために、つまり、間違えたために、命が助かったのだ。

 そして、あの小さな声はいったい誰の声だったのか。私の声ではなかった。
 どう考えても不思議だった。

 ただひとつ、なぜか、確信したことがあった。

 それは、私の力で飛べたのではない…、ということだった。
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by eridonna | 2009-12-03 18:07 | 第7章 BC州のカレッジ