まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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カルガリー国際空港 1976

 フレイザー川に沿って、ホープの町から山の中に入る。東に行くにしたがって山々は高くなり、レベルストークを過ぎると、峠は早くももう雪だった。

 それほど急がないで走ったので、バンクーバーからカルガリーまで、車で32時間もかかった。J女史のところで1泊。
 次の朝から、エアポートの近所に住んでいるH夫人の家に下宿することになった。

 アルバータはカナダでも有名な牛肉の産地だ。沿岸の地域と違って魚を好む人は少ない。けれどもH夫人はイギリス人だったので、魚が好きだった。
 そこで二人とも肉より魚料理を食べることが多かったと覚えている。
 J女史の学校は、双発のパイパー アパッチ1機と、セスナ172が1機で、コマーシャルパイロットとIFR(計器飛行)の訓練を専門としていた。

 この地域はロッキーに続く山のふもとから広々とした草原が東へ展開し、5000フィートの高さがカルガリーでは3500フィートに、100マイル東のブルックスでは2500フィートに、サスカトゥーンでは1600フィート、さらに東のウイニペグでは800フィートと、北アメリカの大地は東に向かってなだらかに、広大なスロープになっているのである。
 太古の昔、ここがかつて巨大な氷河に覆われていた時代があった。その氷河が移動した足跡なのだ。

 このあたりはカナダのどこの地域と比べても、いちばん乾燥している場所だった。
 視界がとても広くて、60マイル(96キロ)四方、地平線まで何にも邪魔をされずに見渡すことができた。
 ただ西風が吹くと、恐ろしい乱気流と共に、西の空に独特のアーチ雲が現れる。この地域の先住民の言葉で「シヌック」という現象だ。
 気温は夏は暑くて35度Cにもなるが、冬には最低気温がマイナス40度Cにも下がる。その差は実に75度である。しかもこの激しい気温の差は季節によってだけではなく、ときにはわずか1時間の間に、20度も温度が変化することがあった。

 ともあれパイロットにとっては、風さえ克服できれば申し分のないところだった。太陽がさんさんと照る日が多くて、サニーアルバータとまで呼ばれている土地だった。

 1週間ほどして、J女史が「日曜日は何をしているの?」と聞く。「たぶん、寝坊しているでしょう」と答えると、「教会に行きませんか」と誘ってくれた。
 「あまり行ったことはないけれど、あなたがよろしければお供します」と、そのときは軽く答えた。
 彼女と一緒に出かけたのは、セイントジェイムス英国教会だった。
 それまでは聖書もまともには読んだことがなかったが、牧師さんのお説教を聞いていると、共感できるものばかりだったので、何となく興味をもった。
 それから毎日曜日には、その礼拝に行ってみることにした。

 このころは杖は持たなかったが、背中の痛みを隠すのに、歩くときに注意していた。
 あるときアレクサンダー牧師が、
「この中にどなたか背中の痛みで困っている方がおありです。どうか前に来られますように。お祈りしますから」と言われた。私はぎくっとして、
「みんなには秘密にしているのに、どうしてわかってしまったのかしら」
と思いながら、仕方ないので祭壇の前に進みでた。

 ほかにも2、3人が立っていて、その最後に並ぶ。ミニスター(牧師)が私の前に来ると祈ってくださった。すると背中が急に温かくなるのを感じた。これはいったいなんなの?とまわりの人に聞くと、「それはちゃんと治るということですよ」と言うのである。

 家に帰ると、また例の小さな声が「カイロプラクターに行かなくては」とそれとなく提案した。実はトロントを出るときには、カイロプラクターがバンクーバーの友人を紹介してくれ、バンクーバーの人は今度はカルガリーの友人を紹介してくれたのだが、まだここに来て出かけていなかったのだ。
 
 そこで紹介されたアイルランド人のドクターSのクリニックに行くと、
「日本人は背骨が真っ直ぐ過ぎる。少しカーブがないとすぐ疲れるのです。夜寝るときに、タオルを巻いて腰の位置に置いてその上に寝てご覧なさい」
と教えてくれた。
 はじめて聞く話だったが、わらをもつかむ気持ちでそのとおりにしてみると、腰に力が出てきて、6カ月でなんと治ってしまった。

 ただ、すりへった軟骨はもう元には戻らないので、背骨の力の限界をわきまえなければならない。度を越さなければ大丈夫、ということも教えてもらった。
 
 私はこれまで、何でも無我夢中で動いてしまう人間だったので、少しぐらい無理をしてでもつい体を酷使してしまいがちであった。
 だが、何よりも健康が欲しいと悟ってから、こうしてだんだんと自分の体の扱い方も学ぶようになった。
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by eridonna | 2009-11-29 19:01 | 第8章 カルガリーへ