まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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ハンブルグへの旅

 私は一度決意すると、後ろを振り返らない性質だった。

 いったん自分にとっての真実がおもてにあらわれると、それをそのまま受け入れ、新たな気持ちで前に進むことができる。
 1977年3月に新しい人生の一歩を踏み出して以来、毎日が楽しかった。

 6月には、父の親友だったラウリッツェン氏からドイツのハンブルグへ1週間ほど来ないか、という手紙がきた。ラウリッツェン氏はもう82歳になられるが、父とは戦前からの友人で、父の死を知らせて以来、よく文通していた。

 ドイツではエルベ川の25周年親善祭があり、第2次大戦前後の船舶のキャプテン、またその家族が招待されたのだ。
 エルベ川では第2次世界大戦前から、入港してくる船の国籍を見て、川岸にあるウェルカムポイントでその国の国歌を奏でるという慣習があった。戦争中には一時中断したが、戦後1952年に復活し、このときがそれからちょうど25周年目なのだった。
 けれども戦前の船乗りたちは、いまでは父を含めほとんど亡くなっていて、生き残っているのは、ラウリッツェン氏とあと二人ほどであった。

 そこで、私は1週間の休暇をとり、8年前に他界した父の代わりに、その親善祭に出席した。カルガリーからカナダ航空でアムステルダムに到着、ルフトハンザでハンブルグに着いた。

 あの当時のドイツは、まだ西と東に分かれていて、緊張した雰囲気だったが、その中で開かれたエルベ川の親善祭はとても和やかなものだった。
 参加国はスカンジナビアの国々、英国、そして日本など。
 日本の女性が一人歌を歌ったり、各参加国の領事館員、そしてこの川からハンブルグ港に入港した昔の船乗りたち、その家族でにぎわった。
 ラウリッツェン氏が英語に通訳してくださったので、いろいろな人と握手を交わし、交流することができた。

 ▼二人の記者に囲まれたラウリッツェン氏と私
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 彼はハイデルベルグのベートーベン街に住んでいた長男の家にも連れて行ってくれて、その家族と一緒にハイデルベルク城を見学に行った。
 古い伝統的なドイツの都は、ショッキングな色使いなどまったくない、まるで薄明の中で夢を見ているような、静かなたたずまいだった。
 私はあらためて古いドイツの調和した美しさに見とれた。

 翌日には、フランクフルトからカナダに向けて飛び立った。
私が戻っていくのは、日光がさんさんと輝く大平原の中に新しく作られた都市カルガリー。ハイデルベルグとは対照的な、色彩のコントラストの強い大都会であった。
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by eridonna | 2009-11-27 19:30 | 第8章 カルガリーへ