まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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再び解雇される

 年が明けて1978年、1月の末だった。J女史が突然私を呼んで、「精神病の兆候があるからドクターに診てもらうように」と言うのである。
 そんなひどいことを言われても、私には何の心あたりはなかった。だが彼女の言葉を受け入れて、3人もの違ったドクターに診察してもらった。どのドクターも「何の問題もないので病院に来る必要はない」と言う。

 つまりJ女史は、病を理由にして私を解雇したかったわけである。仕事をやめて欲しければ、おかしな理由などつけずにストレートに言えばいいのに、と思った。
 J女史のところでは1年半働いた末の突然の解雇だったが、下宿先のH夫人に迷惑がかけられないので、私はすぐできる仕事を探した。
 タクシーやスクールバスの運転手をやってみるのも面白いと思ったが、やはり昔とった杵柄、秘書の仕事が向いている。
 オフィス オーバーロードという組織で、休暇中の秘書の代役という仕事を見つけた。このごろ日本でも盛んになった「人材派遣会社」のような組織だ。場所柄、石油会社から頼まれる仕事が多かった。
 これは結構お金になったので、経済的には困るようなことはなかった。
 
 これが1年前だったら、私はまたパニックになっていたかもしれない。
 どうしてこんなことに……と絶望したり、相手を責めたりして、怒りに心が占領されてしまったかもしれない。
 だが自我を土に埋めて神の御意志に従う、と宣言したあとだったので、これはきっと何かの試練なのだ、と自分に言い聞かせた。ともすると、心の中が疑問の言葉でいっぱいにふくれあがったが、何とかなだめすかして押さえつけた。
 まだ私には知らされていない理由が何かあるのだろうと思って、流れに身を任せるようにしたのである。

 そんなとき、エドモントンから10歳年上の英国人パイロット、ビーラ女史が私を訪ねてきた。エドモントンからカルガリーまで350キロ。その距離をエアラインで飛んできてJ女史の学校に来られたが、私はすでに解雇されたあとで会えなかった。
 その晩、友人のところにいる彼女から私の家に電話がかかってきた。
「あなたが今困っていると、昨日心の中で声が聞こえたので飛んできたのです」
と言う。

 彼女は戦争中から飛行機に乗り、これまでに信じられないようなフライトを何度も経験しているパイロットだった。中には1万フィートの上空からきりもみ状態になり、地上700フィートまで落下するようなアクシデントを3回繰り返し、すべてを放棄して「お助けください」とい言ったときに、やっと近くの飛行場にたどり着いた、というエピソードもあった。
 いくつかの危機を脱してそのたびに奇跡的に助かった彼女は、私と同じように、やはり神への信仰をもつに至ったパイロットの一人であった。
 危険な場面をくぐり抜けてきた生き残りのパイロットには、信仰をもつ人が珍しくないのである。

 私はこれまで一度しか彼女にお目にかかったことはなかったので、彼女がわざわざ訪ねてきてくれたことに恐縮したが、トラブルの一部始終を語ることで、いろいろ慰めてもらうことができた。
 その何日かあとで、ビーラ女史の友人が指導している教会に出かけていったとき、とても年取った一人の女性が立ち上がって、予言のような、通告のような言葉をおっしゃった。
 「あなたは広い乾いた土地に行くことになるでしょう。心の中に神の掟を書き、正義を知るようになる」(ジェレミアの31章33句)
 どうしてそれが自分に当てはまるのか、そのときはわからなかったが、心の中にとどめておいた。

 1月31日、カルガリー国際空港での最後の日、帰宅しようとして車のところへ行くと、ウインドシールドに紙が張ってあった。
 生徒の一人で、GM(ジェネラルモータース)社の代理店のセールスマンから「電話してください」というメッセージだった。数日後に彼とコンタクトを取ると、「あなたの車はだいぶ古いから、買い替えなさい」と言うのである。
 あいにく私はお金に余裕がない。

「私は中古車以外は買いませんよ」
「ええ、ちょうど新車を買ったばかりの客がいましてね、彼の古い車を直接買えば、安く手に入ります。確か4年前くらいの型で、まだ新しいほうです。マリブと同じ大きさですよ」
「でも下取りにしないと、あなたの会社の利益が出ないでしょう?」
「そんな心配はしなくていいですよ」

 結局彼の親切を受けて、そのお客に直接電話をして、1974年型のオールズモビルを2000ドルで買った。古いほうのマリブは300ドルで近所の人に売って処分した。
 このときはまさか、近いうちにこのオールズモビルに頼るようになるとは、思いもよらなかった。
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by eridonna | 2009-11-27 11:29 | 第8章 カルガリーへ