まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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あいているドアはひとつ

 4月に入ってから、100マイル東のブルックスから一人のパイロットがセスナ185で飛んできた。私はまったく面識のない人であった。

「カルガリー国際空港で、個人教授でIFRの訓練をして欲しい」
と言うので、このブローズ氏にシミュレータでIFRの基礎を2、3時間訓練してあげると、
「ぜひブルックス空港に来て、飛行学校を始めてくれないか」と言い出した。
そこで彼のセスナに乗せられ、そのブルックスへ無理矢理連れていかれたのである。
 行ってみると、そこは大草原の真ん中の乾いた土地であった。2カ月前に、あの小さな教会で聞いた言葉がよみがえってきた。
 生徒は数人いる模様である。このあたりは大きな町から離れているため、来てくれる教官がいないとのことだった。

 もし解雇されていなかったら、私はおそらくイエスとは言わなかっただろう。これは自分の意志ではなかった。こんな辺鄙なところへわざわざ来ようなんて、自分からは考えられなかった。
 まるで私が選択せざるを得ないように、レールが引かれているようであった。


 クリスチャンになるずっと前、何かを選択しなければならないとき、わたしは必ず悪いほうをとっていたような気がする。
 いくつものドアがあって、どれかひとつを選ばなければならないのは苦手だった。いつもまずいほうを選んでしまうのだ。

 そこであるとき天に向かってお祈りしたことがある。
「どうかこれからは選択のドアをひとつにしてください」と祈ったのだ。
 それっきり、二つのドアは開かないようになった。ひとつドアが閉じると次のドアが開くのである。

 このときも、私の前であいているドアはひとつだった。

 それではと、次の日からカルガリーからブルックスまで、往復200マイルの道のりを毎日ドライブすることになった。
 あの古いマリブだったら、途中で故障して苦労しただろう。少し前に2000ドルで買ったあのオールズモビルが、ここで役に立ったのである。
 
 毎朝日の出と共に、太陽に向かって、ひたすらまっすぐなNO1ハイウエイを100マイル、1時間半で走る。
 そして太陽が西に沈むころ、今度は西に向かってまた100マイル、カルガリーの下宿へ帰るというハードな日々が2カ月続いた。

 どこかブルックスの近くに下宿を探したほうがいいようだった。
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by eridonna | 2009-11-26 11:54 | 第8章 カルガリーへ