まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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初めての入院

 ところがある朝、運輸省のエドモントン事務所から電話があり、インスペクター(検査官)Rの声で、「すぐに学校を閉鎖しろ」という命令がきた。
「もし引き続き訓練をするようなら裁判沙汰になる」と言うのである。
 驚いて理由を聞いてみると、オタワからの仮許可が切れたこと、ブローズ君が正式の許可申請をしていなかったというお粗末なものだった。

 困ったことになった。すでに訓練費用を前払いしていた生徒には、ブローズ君から払い戻しをしてもらわなければ……。飛行場はハチの巣をつついたような騒ぎになった。

 その上、さらに数日後、もうひとつ災難が待ち構えていた。
 私は6カ月に一度、コマーシャルパイロット用の健康診断を受けていたのだが、ドクターGによると、甲状腺がんにかかっていると言うのである。思いもよらないことであった。
 すぐに手術を受けることにした。ところが切開してみると、ガンではなくて甲状腺腫だったので、幸い半分ほど切り取られただけで済んだ。
 
 あまりに次から次へといろんなことが重なったので、体力に自信のある私でもさすがに少し立ち止まる必要があったらしい。
 ここらでちょっと休みなさいという警告が出たようで、手術後に1週間病院で寝ていることが、とてもよい休暇になった。
 
 その病院での休暇中に、生徒が1人、見舞いをかねてやってきた。
 聞けば「4人で1機のパイパーチェロキーを買ったので、それを使って個人教授をしてくれればいい。学校はいらない」と言うのである。

 ベッドで寝たまま、私は考えた。
 この大草原にやってきたことは、私の意志ではなかった。いわば神様のお膳立てなのだとすれば、乗りかかったこの船は、たとえ座礁するとも大揺れが来ようとも、必ずどこか目的地に着くのではないか。
 私は今では自然にそんな風に考えられるようになっていたので、成り行きを信じて任せることにした。

「手術後30日間は空を飛んではいけない」というのが、ドクターの命令だった。
 仕方がないので、カルガリーで下宿していた先のH夫人と二人で、11月の雪空の下、寒さにもめげずドライブ旅行に出かけた。
 行き先はアメリカのモンタナ州・グレイトフォール。ロッキー山脈のふもとにあるモンタナ州最大の町で、農村と家畜業者の集まりであるアルバータの人間にとっては、ちょっとした気晴らしやショッピングを楽しんだりできる都会なのだ。
 1週間のあいだ、二人とも日常を離れて思い切り自由を楽しんで帰ってきた。

 さて、12月になって、ようやく「飛んでもいい」というドクターの許可がおりる。
 待ちきれなかった。さっそく4人の生徒が買ったというチェロキーを点検することにする。

 空港で調べていると、生徒の一人がやってきて、
「もう飛んでもいいのですか?」と私の体を気遣い、心配そうに聞いた。
「もちろんですよ。さあ、飛びましょう」と言うと、
「あ、あしたでもいいですよ」と言ってしり込みする。
「私は外に立っていると寒いの。中に入ってください」
 私は彼を機内に押し込んだ。

 久しぶりに地上を離れて軽やかに飛び上がる。
 ブルックスの上空を旋回しながら、このチェロキーの性能をいろいろ調べてみた。このパイパーはやがて私自身が買い取ることになるのだが、このときはそんなことまで
は考えもしなかった。
「66年型にしては、なかなかよい状態の飛行機を買いましたね」

最初のチェックフライトであった。
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by eridonna | 2009-11-24 12:38 | 第9章 大草原で暮らす