まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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カテゴリ:第10章 私の飛行機学校( 6 )

新空港ビルの完成

 3月になった。アルバータ州政府が新空港ビルをプレゼントしてくれるという、すごいニュースがはいった。
 州の首相、ピーター・ローヒード氏の決断である。石油税の収入が伸びてヘリテッジ・ファンド(遺産基金)がかなり貯まったので、ブルックスを含めて5カ所の町に、滑走路かターミナルビルを建ててくれると言うのである。
 やがて完成したぴかぴかのニューターミナル。ブルックスの町の要望で、私はネコ2匹を連れて新築のターミナルに移った。ここで商売する人は、私以外ほかに見つからないというからである。
 ついに町役場が航空用のラジオを設置した。ほかの場所からブルックスに飛行してくるトラフィックに情報を与える必要もあるし、ターミナルの管理もしなければならない。
 新しい仕事も増えてきて、一日の長時間を飛行場で過ごすようになった。

 新空港ビルに落ち着いたCMフライトサービスは、誰にも気をつかう必要もないので、生徒たちもおおいに自由を楽しんでいるようだった。
 学校のサインボードを作ってくる者、黒板を持ってくる者、どこかのオークションで冷凍庫を買ってくる者、みんなして必要なものを持ち寄って、まるでひとつの家族のような雰囲気だった。

 ▼生徒たちの心づくしのサプライズパーティ・滑走路ケーキ
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 ひまのあるときには、私はスパゲティやフライドライスなどを大量に作り、一人分ずつ箱に小分けして冷凍しておく。
 生徒とフライトに出る前に箱を二つ出してオーブンに入れ、低温にセットして出かける。練習から帰ってくると、これがちょうどほかほかに出来上がっているのである。
 昼休みをやりくりして飛んでいる生徒たちは時間がないので、この手軽なランチをとても喜んだ。夕方は夕方で、独身の連中はよく学校で夕食を食べていったものだ。
 いつも炊飯器(ライスクッカー)を机の上に置いてあるので、自分で「ごはん」だけを食べていくという生徒もよくいた。卒業するころには、ここのカナダ人はみんな「ごはん」、つまりお米が好きになっていた。
 天気の悪い日には、地下室に誰かが持ってきた卓球台で、みんなでピンポンゲームをして楽しんだこともある。若者たちにとっては「CMフライトサービス」は格好の遊び場だった。
 私にとっても、彼らはみんな自分の子どものようなものだった。

 だがまだ20代の若い連中を相手にしている私は、ともすると自分の年齢を忘れがちだった。
 ある2月の寒い時期、外ではまだ雪が地上に凍りついているときだ。1台のチェロキーを整備員のハンガーに運ばなければならなかった。助けを求めると手を上げたのが2人、私と3人で雪の上を押していくことになった。
 一人が引っ張り、二人が押す。なかなか動かない。そこへもう一人助っ人があらわれた。飛行機は4人の力で急に転がりだした。
 若者たちは面白がってどんどんスピードが速くなる。50を越えた私は息が切れてしまって、「ストップ! ストップ!」と言ったが、止まらない。
 とうとう翼を押していた手を離してしまったら、次の瞬間、尾翼が私の後頭部を直撃した。
 前向きに倒れた私は、雪を真っ赤に染めて、顔面負傷。その日は何とか過ごすことができたが、最悪だったのは翌日だった。
 真っ黒く膨れた顔の私のところへ、突然、エドモントンからインスペクターRが飛行学校の検査にやってきた。彼は私の顔を見て驚いていたが、幸い、プロペラがまわっていなかったので、ただの地上事故ということで処理された。

 
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▲チャーリー君

 小ネコだったチャーリー君もだんだん成長し、大変なイタズラ者になった。
一度彼を捕まえて頭をたたこうとすると、親の本能なのだろう、母親のネコが私の肩越しに飛んできて、チャーリーをかばったことがあった。その母親がある日突然姿を消してしまって、ずいぶん探したが、出てこなかった。
 
 それからしばらくして、ある晩ソファにチャーリーと共に横になっていると、半開きのドアから赤、白、黒という3色の大きなトラネコが、こっそりと教室にはいってきた。
 ボブキャットに似ているが、尻尾が長く、あとで聞いてみるとこれはオセロットというひょうネコ?らしかった。
 そのネコがチャーリーの食事を食べているのに、チャーリーはと見ると、いつもと違って黙っている。ちょっと様子がおかしいので、私は立ち上がるとそっと大きなネコのほうに近寄った。
 トラネコ、いやひょうネコは、私を見てさっと地下室へ降りていった。
 あとを追いながら、私は階段の踊り場で、教室へ出るドアと外へ出るドアを閉め、地下室へ。途中で手にモップをつかんだ。ひょうネコは尻尾を高く上げているので、体は見えなかったが、尻尾の先だけがちらちらと見えている。
 
 ネコは水のタンクのまわりを1回転すると、また来た道をもどって行く。踊り場に出ると、さっき半開きだった内側のドアも外側のドアも閉まっているのに気がついたらしい。彼は音もなく6フィート(180センチあまり)も跳ね上がった。
 私はモップで頭をたたいたが、彼は声ひとつ出さなかった。また高く飛び上がったがどこにも出口はない。そこで私と目が合うと、前歯を剥き出しにして世にも恐ろしい顔になった。私ののどを狙っている……。
 私は右手で外側のドアを押し開けた。ひょうネコはさっと暗闇に消え、それっきり2度と教室にはやってこなかった。
 このあたりのことに詳しいところをみると、どうもあれがチャーリーの父親ではないかと思った。

 その年、1981年の秋のことだった。
 朝方に霧がよく出るようになったころ、私をブルックスに連れてきた若いブローズ君が、石油会社の社員と北の方へ飛び立った。どうしてなのか、その朝に限って、生徒の数人が「ブローズ君はどうした?」としきりに情報を聞きにくる。
 
 胸騒ぎがした。悪いニュースは人の間にどうして早く伝わっていくのだろう。
その日の夕方6時のニュースで、ブローズ君がエドモントンの南で、鉄塔に引っかかり事故死したと知らされた。同乗していた石油技師は病院に運ばれたという。
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by eridonna | 2009-11-20 23:56 | 第10章 私の飛行機学校
 私もたくさんのフライトを経験してきたが、中には2度とやりたくないものもかなりある。

 その1。夏も近くなったある夕方、獣医のF氏から電話があった。
「ここから30マイル西、ローモンドの町の近くの農場で、牛が死にかけている。すぐ飛んでくれないか」
 私はセスナを用意して待った。やってきたドクターFとすぐに飛び上がり、15分で目指す農場に着いた。農道に着陸したとき、電線が脇にあるのが目に入った。
 太陽はもう地平線にかかっていた。このあたりは北緯51度、たそがれは30分は続くだろう。私はお願いした。
「ドクター、30分以内に戻ってきてくださいね。太陽が沈む前に」
 だが、彼が戻ってきたのは30分どころか、2時間後だった。あたりはすでに真っ暗。しかも90度の横風ときている。
 
 農場の人々がトラックを2台走らせて来て、ヘッドライトで農道を照らした。
 私はフラップを20度出して、電線にぶつかる前に離陸した。右翼の下に、かろうじて越えた電線が見えた。
「こんなスタント(曲芸飛行並みの離れ業)は毎日はやりませんからね」とドクターに言うと、彼も黙ってうなずいた。

 その2。ある日、もうそろそろ夕方になり、生徒が来るころだと思いながら、ランプにパークしてあるCF―WUPのところに歩いていった。
 半開きのドアから、チャーリー君が中に入り込んで座席の上で昼寝をしていた。
ドアを閉めてプロペラをまわす。一人の生徒がランプに駆け足でやってきて、手まねで「乗せてくれ」と頼んだので、私はオーケーと言ってドアの掛け金をはずした。
 
 彼は翼の上に乗って、ドアを開けると座席を見た。途端に悲鳴。しかしともかく機内に座るとベルトを締めた。
「チャーリー君と同乗するのは構わないのですが、僕はネコの毛アレルギーなんです……。ハ、ハクション!」
 くしゃみでチャーリー君のほうが驚いて、うしろの座席に飛び移った。
 
 私はランウエイ30に着いて、エンジン全開。数秒でテイクオフ。するとチャーリーはおびえて私の肩に乗った。
 次に彼はウインドシールドに飛び上がり、跳ね返って私の操縦桿をうしろ足で踏んだ。
 飛行機が右旋回しそうになる。次に生徒の膝の上に着地、生徒は「うわあ」と言いながらくしゃみをこらえようとするが、止まらない。
 5分間の騒々しいフライトを終えて、タクシーウエイにはいる。右のドアを開けると待ち切れなかったチャーリー君はさっさと出て行き、彼のくしゃみもようやく止まった。
▼飛行機点検
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 その3。石油関係の技師が一人、午後2時ころやってきて、スリーヒルズという町に飛んでくれと言った。
 すぐにチェロキーに乗って90マイル北西に向かう。飛行時間は50分ほど、無事着陸して彼をおろし、一人で帰途につく。
 私はランチをまだ食べていなかったので、とてもおなかが空いていた。もってきたサンドイッチを二つとも食べてしまった。
 とても満足して、いい気持ちで5500フィート上空を南東に向かって飛ぶ。ところがしばらくして、エンジンの音がおかしいのに気づいた。
 
 いつもと違って変な音がするのである。
 こんな音がするようではとても危ない。帰ったら整備士のJ君に相談しなければならない……と考えているところで、ふっと目がさめた。
 エンジンの音は正常だった。

 さっきのおかしな音は、エンジンの音と重なった私のいびきだったのだ!
 天気は快晴、おなかはいっぱい、仕事も終わってたった一人でいい気持ち。しかもよく知っている地元の空だからと、つい緊張がゆるんでしまったのだ。
 時間を見ると、おそらく10分近く居眠りしたらしい。コースを20度も外れて南に向かって飛んでいた。危ないところだった。
 
 あとにも先にも空の上で居眠りしたのは、このときだけである。
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by eridonna | 2009-11-19 23:57 | 第10章 私の飛行機学校

私自身の弱さ

 1983年、1月16日だった。3カ月前に卒業したV氏が、夕方やってきて、友人を乗せてローカルフライトをしたいと言った。
 その日は南東の風がかなり強く、3カ月も乗っていないのでチェックフライトが必要だった。私は彼とサーキットを2回、10分間飛んだ。
 
「この風がこのままの強さなら、まあ何とか大丈夫でしょうが、もう少し左に寄った風になるか、もっと強くなった場合はあなたの手に負えなくなります。そうすると飛行機を壊すことになりますよ」
 私は彼を思いとどまらせようとしたが、彼は頑として「自分は大丈夫だ」と言い張った。
いつもの小さな声が聞こえた。
「この卒業生はどっちにしろあなたから離れることになる。このままいくか、いかないかはあなたの自由」
 このとき、私は自分が試されているとは気がつかなかった。
 V氏の意志があまりにも強いので、忍耐強く説得することをあきらめてしまい、
「では、暗くなる前に帰ってくるように」
と言って、フライトを許可した。

 時間が経過するにつれて、心配したとおりに風はさらに強くなり、今や彼の手に余るほどになった。
 ちょうど私はほかの生徒とCF―WUOに乗って、彼の乗ったCF―WUPのあとからサーキットにはいっていた。2分の1マイル離れて、一部始終を空の上から見ることになった。
 V氏は着陸したものの、風に押され、ラダ―の使用が遅すぎて、ランウエイを右にはみ出していく。そしてそのまま、滑走路の脇に積んであった固く凍った雪の山にぶつかった。
 プロペラと前の車輪を大破。二人ともケガはなかったが、彼が内心、かなり傷ついたことは疑いがなかった。
 それっきり、飛行機の操縦を断念してしまったのだ。

 CF―WUPは7000ドルの修理費がかかった。保険会社が5000ドル払い、学校が2000ドル。そして春にはまた使用できるようになった。
 自分を曲げなかった彼のほうに原因があるのだから、私が自分自身を責めることはない、と思っていたが、月日がたつにつれて、心の中が穏やかではなくなった。
 
 何が気になるのだろう。どこがまちがっていたのだろうか。自分で自分を分析してみる。

 気になっていたのは、私の行動だった。
 V氏にはどこかで私を女だと見くびっているようなところがあった。私の指示をにべもなく拒否するのは、そういう側面もあったと思う。そういうV氏に対して、私は忍耐強く応対するのが嫌になってしまったのだ。
 だが教官である以上、安全に飛ぶという原則を守るためには、決して相手の意志に左右されてはならなかったのだ。
 表面上は確かにV氏の問題だったが、私にとっては私自身の弱さに対するテストでもあった。

 神様はいつでも私たちの行動のあり方、心の動きを見ておられるという気がしていた。一つ一つの困難な出来事は、私がそれをどう超えるかという、ハードルのようなものなのだ。
 起こったことには、表面には見えない隠された真実がある。

 選ぶのは本人の自由、ということで「フライト許可」という決断を下したのだが、その裏には「短気」という私自身の問題が横たわっていたのである。
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by eridonna | 2009-11-18 23:58 | 第10章 私の飛行機学校
 1984年は、平穏な日々が続いた。
 最近入学してくる新入生に、「どうしてパイロットになりたいのか」「なぜ空を飛びたいのか」という質問をするようになった。答えは次のようなものである。

生徒1「車で道路の上をドライブすることに飽き飽きした。道路のないところを一直線に飛びたい」
生徒2「ポリスのいないところでスピードを思いっきり出したい」
生徒3「空中に浮き上がったときの自由な感じが好き」
生徒4「エアラインのパイロットになって、美しいスチュワーデスとデートしたい」
生徒5「農民として作物の成長の様子を上から見てみたい」
生徒6「熊のヨギベア(子どもに人気のあったキャラクター)の子が人里に出て行くと、人間の子どもたちが楽しそうに野球をしていた。ボールが転がってきたのでそれを拾って家にもって帰った。母親のヨギベアがどうしてそんなものを拾ってきたの?と聞くと、小熊は答える。だってみんなやってるから面白そうだと思って」

 最後の生徒は英国人で、要するに「面白そうだから」と言いたいのだろう。ジョークの好きな英国人のいかにも言いそうなことだった。
▼訓練開始
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 この年は、フライトテストまでこぎつけた生徒が6人。
 4年前には、訓練を終えた生徒を4人ためておいて、エドモントンのビーラ女史を呼んで、ブルックス空港でテストをしたことが2回あった。カナダ航空のチケットを前もって彼女に送り、カルガリーに着く彼女を私が練習機で迎えに行き、彼女にはブルックスのホテルに1泊してもらう、という段取りであった。
 なぜこんな面倒なことをするかというと、訓練した教官はテストをすることができない、という規則があるからだ。

 最近では、78マイル南のレスブリッジ空港へ、生徒の準備が出来次第飛んでいって、あまり慣れていない地域でテストをすることにした。人口の多い町の空港の学校で、教官が二人以上いるところでは、テストをする特権をもつ者が一人はいるものだ。
 そうかと思うと、アルバータの州都エドモントンの運輸省事務所から、訓練課に属する試験官がやってきて、自らテストをすることもある。ただエドモントンに住んでいる人は、この南アルバータの草原をあまりよくご存じない。

 あるとき、試験官と生徒がテストの最中だった。試験官が生徒に、
「今どこにいるか、わかっているかね? あの町はなんという町か?」とたずねる。
「あれはカウンテスという町です」
 すると試験官は生徒の自信をぐらつかせるように、「本当か?」と再び質問する。
 この生徒は地元の農家の人間なので、土地勘がある。
「本当ですとも。ほら、あの大きなエゾ松の下には黒い犬がつながれていますよ。なんならもっと低く飛びましょうか」
 笑い話のようなテストであった。
 フライトテストが無事に終わると、生徒のどの顔もうれしさと誇りで輝いている。
「ああ、やっと、僕はパイロットになれたんだ!」
 私はライセンスを手渡しながら、
「これがあなたの自殺許可証になりませんように」とよく言ったものだ。
▼チェロキーが人気のあった頃(卒業生はよく購入していた)
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 1985年になると、カナダ西部の経済状態が悪化した。
 オイルショックである。オタワ政府が重油税を課してきた。それに加えて、保険会社の大手、ロイドが危機に陥った。原因はこのところあいついで起きた大型旅客機の事故であった。
 
 これまで2機の飛行機にかけてきた保険料は年間4500ドル。それがこの年から一気に8000ドルに値上げされた。さらにこれに追い討ちをかけるように、この年を境に生徒の数が減りだした。これではとても2機の飛行機を維持できない。
 どうしたものだろう、と悩んでいるうちに、ある卒業生がCF―WUOを買いたい、と言ってきた。これはちょうどいいタイミングと、彼女に1万1500ドルで売った。
 
 それではもうひとつのCF―WUPを私自身が手に入れることにしよう。4人の持ち主に問い合わせると、同じく1万1500ドルだという。
 そこですべてはスムースに進行して、1985年の4月からは、1機のチェロキーだけで学校を運営することになった。
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by eridonna | 2009-11-17 00:04 | 第10章 私の飛行機学校
 1985年の7月末、42マイル(67キロ)南にあるヴォクスホール空港へ出張教授のために出かけることになった。ブルックスの女生徒を一人連れて行く。
 
 このあたりはジャガイモの産地で、夏は忙しく、農家の若者たちはブルックスまでドライブする時間がないのである。そこで彼らのためにここで地上学校を開いて、よく半日を過ごしたものだ。
 夕方になり、ただの積雲がむくむくとした積乱雲となり、雷とともにやがて激しい嵐となった。これではとても飛びあがれない。
 ターミナルビルの中で、持参したサンドイッチの夕食を済ませる。
 人口の少ないアルバータ州の草原地帯では、エアポートはどこでも町から2マイル以上離れている。そこで出かけるときは必ず、生徒の分も含めて飲み物・食べ物を持参する習慣が身についていた。今日も持ってきて、正解だった。
 
 嵐はなかなかやみそうになかった。静まるまででひと眠りしよう。
 いつのまにか長い時間が過ぎ、あたりが静かになったので、目がさめた。時計を見ると午前1時である。女生徒を揺り起こし、
「嵐は行ってしまったようですよ。帰りましょう」
 彼女は眠そうに起き上がり、公衆電話からブルックスの家族に電話をして、今から帰ると家族に知らせていた。
 外に出ると今夜は月もなく、真っ暗だった。
 空港のランプに立って二人で当たりを見まわす。夏の嵐は過ぎ去って、見上げれば星でいっぱいの空。雨できれいに洗われた飛行機が夜空の下で光っている。
 外側をチェックしてから中に乗り込み、エンジンをまわして、滑走路の東の端に着く。機首を西に向けて離陸した。
 あまりに真っ暗な夜なので、星までがさっきの雨に洗われたように、ひとつひとつ鮮明に輝いて見えた。
「ああ、なんてきれいなんでしょう。まるで宇宙旅行をしているみたいですね」
 まだ眠そうにしていた生徒が、それでも感動してつぶやいた言葉を思い出す。

 進路は北だ。だが強い西風のために、10度西に修正。350度の方向に機首を向けてブルックスを目ざす。
10分ほど経ったころ、それまでの静けさを突き破り、突然、何か見えない穴にでも落ちたように右の翼が横転した。操縦桿を握った手が急に固くなる。いつまた起こるかもしれないと、私は見えない敵に備えた。
「今のは何だったのですか」
 生徒がびっくりして、今度こそ本気で目がさめたらしい。
「風の吹き溜まりでしょうね」
「吹き溜まり?」
「ええ、二つの方向の違う風がぶつかるところですよ」
 私は思い出しながら続けた。
「聖書にも書いてあったわ。風は吹きたいところを吹く。音は聞こえるけれどもどこから来てどこへ行くのか、わからない……。(ヨハネ伝3章8句) でも確かに私たちは感じたわね」
 
 10マイル先にエアポートのあかりが見えた。雨のあとの空気は澄んでいて、遠くまでよく見える。だがなんだか、勝手が違う。町が小さいのだ。人口が2000人ほどしかなさそうだ。ブルックスならこれよりずっと大きいはず……。
「一体全体、ここはどこかしら」
 二人して目を凝らして前方を見つめた。
「まあ、ここはバサノ町だ。ブルックスよりも25マイルも西にあるのよ。それにしてもどうしてこんなに西に流されたのかしら」
 私はつぶやいた。すぐ思い当たるのはさっきの風の吹き溜まりである。
「そうか、さっきの吹き溜まりで、ヴォクスホールを出るときは西風だったのに、東風に変わってしまったのにちがいない。10度も修正したまま飛んでいたから、西へ行き過ぎたというわけよ。 この飛行機には、航法用の計器がついてないからね」
 さて、機首を東に向けると、はるか向こうにブルックスの空港のライトが点滅しているのが見えた。

 東風は思ったよりも強かった。主要滑走路の12に進入しようとしたが、40ノットもある90度の横風では、どうにもならない。仕方なく、上昇してやり直す。
 今度は滑走路灯のついていない真っ暗なランウエイ02に進入。
 進入中は機首が下を向いているので、機のランディングライト(着陸灯)で地面が見える。地面から5フィートの高さで機首を引き起こし、水平にするともう何も見えなくなる。暗闇で何秒間か祈っているうちに、車輪が接地するのを感じた。
 
 やれやれ、何とか帰ってきた。今日も無事で過ごせたことを神に感謝する。
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by eridonna | 2009-11-16 00:30 | 第10章 私の飛行機学校

カモの親になる

 ▼婦人航空協会の人々
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 この春は日本から二人の生徒が訓練を受けに来たし、秋には大阪からパイロットの友人が遊びに来て、にぎやかであった。
 だが飛行機が1機になると、さすがに少しひまができるようになり、私は飛行場のまわりをよく歩いて散歩した。
 
 5月になると、滑走路の横の草原に、大きな白い草きのこが生えていた。これは食べられるので、バターで炒めてよく食卓の上に登場した。

 ある日の午後、のんびり昼寝をしていると、何者かが小さな音を立てて、階段を登ってくる気配がする。チャーリーを見ると、夢の中らしい。音のするほうを見ていると、おやおや、卵からかえったばかりのカモの子が一匹、教室に入ってきた。
 かわいそうに、親とはぐれてしまったらしい。
 5月は2ダースもの卵がかえる時期で、あちこちで両親の間に20匹もの子ガモが一列に並んで、近くの湖に行進していく。それを上空から鷹が狙って子ガモをさらっていくので、人々は子ガモの「死の行進」とも呼んでいた。
 
 私はそおっと立ち上がると、ダンボール箱を逆さにしてカモの子を捕まえた。さあ大変!
チャーリーは今や何ごとだろうと鼻をヒクヒクさせながら起き上がった。チャーリーと箱の中のカモの子を別々にしなければ……。
 そこで電話室にカモの子を入れて、2週間育てることにしたのである。
 何を食べさせたらよいか考えたが、ブルックスの近くにキジの養生所があったので、そこに行ってキジの子用のえさを少し分けてもらった。
 
 カモの子はすごい食欲で、みるみるうちに大きくなり、太ってきた。
大きな洗面器に水を入れてやると、本能的に泳ぎだす。2週間経つと3倍の大きさになり、箱から出してやっても逃げないで、私を親だと思ってついてくるようになった。
 さて、困った。アルバータ州の法律では、無断で野生の動物を飼いならしてはいけないことになっている。
 そこである日、思い切って近くの湖に連れて行った。子ガモはバシャバシャと水を得た魚のように、本当にうれしそうに泳ぎまわっている。そのすきに、私はこっそり車に戻った。
「私のことは忘れてね。私もあなたのことはもう知らないことにしますから」

▼カモの子を池に
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 ところがそれから2、3日して、今度は滑走路の脇で、24個もの大きな卵を見つけてしまった。
 何かに脅かされて、親が逃げてしまった様子だった。仕方がないので卵を全部教室に持ち込んだ。
 電気コタツで温めていたら、たった半日で23個の卵がかえった。1個だけは次の日に穴があいたが、自力で外に出る力がなさそうなので、私が手伝って出してやった。
 
 けれどもいくらなんでも24羽のカナダガンの親にはなれそうになかった。そこでキジの養生所にもっていって、育ててもらうことにする。
 あまりに人間になじむと、秋になって狩のシーズンになったとき、人間を恐れずに皆殺しになってしまうのではないかと心配だった。

 まだこの他にも、空港の敷地の中には、ジャックラビット、ゴーファ、スカンク、バッジャー、オコジョ、キジ、コヨーテ、赤ギツネ、大白ふくろう、鷹、ハヤブサなどなど、たくさんの動物が住んでいた。
 ときたま滑走路を、シカの群れが悠々と横切っていくこともあった。
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by eridonna | 2009-11-15 00:25 | 第10章 私の飛行機学校