まだ日本人の渡航が珍しかった60年代に日本を飛び出し、日本人女性として初めて、究極のパイロットライセンス、ATRを取得したカナダ在住のチヨコの物語。各ページの下部のリンクがなくなったら次章へどうぞ。


by eridonna
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はるかな道のりへの感謝

 学校設立のときから私のよき友だったチャーリー。
 生徒たちはこう言うと笑うだろう。なぜならチャーリーは私のボスだったからだ。そのチャーリーは1992年の10月に12年と4カ月の生涯を終えた。
 
 振り返ってみれば、1981年からの10年間は、気楽で楽しい日々だった。

▼年末パーティ。テーバーから整備員も参加した。みんなの好きなメニューは、とんかつにちらし寿司、照り焼きチキン。

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▼私の誕生日には、生徒たちがびっくりパーティを企画して、ランウエイケーキ(?)を焼いてくれた奥さんがいた。

▼農業新聞に「ブルックス・エアポートのチャーリー」という記事が載ったので、アメリカのモンタナ州から、はるばる自家用機でチャーリーを見に来たパイロットがいた。

▼1年に1度、7月はじめの日曜日は、フライング・イン・ブレックファ―ストと称して、南アルバータのパイロットたちが朝食のパンケーキを食べに来る日。みんなしてランプ(操作場)でパンケーキを焼く。私はラジオの係で、飛んでくるトラフィックの整理で大忙し、卒業したオーナーパイロットたちが集まって、旧交をあたためた。

▼ある日、狩に出かけた生徒が鹿を一匹しとめて来て、教室の机の上に置いた。感激したチャーリー君、鹿のそばで一晩明かす。
▼ブルックスへやってきたカルガリーのオーナーパイロットが、着陸時に車輪を出すのを忘れて、着陸事故。生徒一同が彼を助け、なぐさめ、温かい友情が芽生える。

 まだまだここには書ききれないほどのたくさんの思い出がある。


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 いつか自由に空を飛びたい、と、そればかりを願って日本を飛び出してから、なんという長い道のりを来たことだろう。
 フランスで初単独を経験し、カナダの空を飛びながら、とうとう憧れのパイロットの最高クラスのライセンスまで手に入れることができた。
 
 広大な大陸の東から西へと移動するうちに、たくさんの生徒に空を飛ぶ技術を教え、最後はこの大草原の真ん中で、18年間も飛行学校を運営してきたのである。
 この「CMフライトサービス」だけでも、200人以上の生徒が出たりはいったりした。その中の100人は自家用パイロットのライセンスを取り、7人がコマーシャル・パイロットに進み、中にはカナダ航空に就職したパイロットもいる。

 そして今、どこまでも広がる大草原の真ん中に、立っているのは私だけだった。

 現在ほとんど人の来なくなったターミナルビル、そして飛行機の音のしない空を見ると、寂しさで胸がいっぱいになる。
 それでも、一人でぽつんと誰もいなくなった教室を見まわしながら、私は考えた。

 人に見せられる財産を作ったわけではなく、わが手に残ったのは1機のチェロキーだけ。だが今の私には、無事に任務を終えたという、その平和な気持ちもたしかにあるのだ。
 
 そしてそれは私がやり遂げた仕事ではなく、すべては創造主である神のはからいであったと私は理解している。

 本当によい勉強をさせてもらった。生徒と共に深く感謝したい。
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# by eridonna | 2009-11-07 21:58 | 第11章 終章